自分には似合わない力に困っていた時、あの友人たちは笑って、こう言ってくれた。
その力に、自分達は助けてもらったんじゃないか、って。
『とっても優しい、大きな力じゃない』
この力のせいで皆から怯えられていた僕に、なんの屈託もなく笑って。
このおかしいほどの力を「優しい力」だ、って…。
だから。
僕は、こんなにも優しい人達がたくさん住んでいる世界を、
守りたい。誰も傷つかずにいてほしい。
強く強く、そう思った。
—— ……だけど…。
ーー四人の勇者の物語 5ーー 護りたいもの
硬い音を立てて、宙に舞っていた最後の石が落下する。
静かに消えていく魔法の嵐の中心で首を巡らせ、ドラゴンは地面の一点へと視線を向けた。
『……終わったか』
乱雑に積み重なった岩。…もう、邪魔をする者はいない。
何の感情も無くその光景を眺めて、ドラゴンはばさりと翼を広げた。
それに合わせて、宙を飛んでいた他の魔物たちも、同じように翼を広げる。
羽音と咆哮の中、一際大きくドラゴンの声が響き渡った。
『お前達は、森の方へ行くが良い。
そして、村人たちを一人残らず……』
…からん。
その刹那。
小さな小さな音が、魔物たちの声を遮った。
普通の者になら聞こえないだろう小さな音。しかし、ドラゴンの耳はそれを聞き逃がさない。
一瞬見開かれた目が、険を帯びてすうっと細められる。
『………』
…眼下の石の内の一つが、一瞬、動いたように見えた。
訝しげに、ドラゴンはしばらくそこを睨みつけていたが、やがて錯覚だと結論づけて視線を外した。
今度こそ村人達を追おうと、ドラゴンの翼が羽ばたく。その身体が宙に浮かんだ瞬間——
から…かたん。
……ガタァンッ!
『…なに!?』
「……せ…ない…」
それは錯覚などでは無い。
積み重ねられていた岩の小山の一つが、内側から何かに押し退けられるように、崩壊していく。
最後の岩が転がり落ち、夕焼け色の瞳がドラゴンを見据えた。
「—— そん…な事…。させない——っ!!」
ブゥンッ!!
先ほどまでキノールを閉じ込めていた岩が、ドラゴンへ向かって孤を描く。
空気を裂いて飛んできたソレから身をかわし、ドラゴンは忌々しげに舌打ちをした。
唸り声をあげ、キノールへと視線を向ける。
『…しぶとい奴め…』
「…村…は…、みんなは、僕が、守る……っ!」
肩で息をしながら、キノールはドラゴンを睨みつけた。
しかし、ぜえぜえと荒く早い息を繰り返す度、決意とは裏腹に、身体がもう駄目だと叫んでいる。
それを黙殺して、キノールは視線を上げ続けた。
…ぱた、と足元に落ちたしずくが何なのかは、見るまでもなく知っている。
満身創痍のその様子に、ドラゴンの表情に余裕が戻った。にぃ、と気味の悪い笑みの形に口が歪む。
『おもしろい…実におもしろい。
あえて動かず岩の力を受け流し、我々の攻撃が及ぶのを最小限に留めるとは…!』
ドラゴンの嘲笑う声が、他の魔物たちの嗤い声も巻き込んで響いた。
あの竜巻に舞い上げられ、不規則に動き続ける岩から完全に逃げることは出来ない。
故にこのキノピオは、あえてその場から動かずに、
傷を負いながらも向かってくる岩を受けとめ、積み上がってゆく岩山の隙間に自ら埋もれたのか。
確かに、それならば無駄に逃げ回るよりも身体に当たる岩は少ない。
受け身を取れるのだから、直に攻撃を受けるよりはまだダメージも軽減される。だが。
そこに命の保証は無い。
…何て愚かなキノピオなのだろう。
くつくつと可笑しそうに笑いを漏らし、ドラゴンはその口を開いた。
『その自己が傷つくことを恐れぬ勇気は認めてやろう、
…だが、現にその身体、もはや貴様に我々を止める事は出来ぬ』
黒味がかった赤い翼を広げ、ドラゴンが大きく咆哮する。その声を合図とするかのように、魔物達が一斉に舞い上がった。
反射的にそれを目で追ったキノールの耳に、ドラゴンの高笑いが突き刺さる!
『己の愚かさを恨むが良い!!』
「…っ……!」
急降下してくる無数の魔物を見上げる。
限界のキノールの身体は、立っているのがやっとで、もう言う事を聞かない。
この岩場では、森の中のように隠れる事は出来ない。逃げる事も、立ち向かう事も出来ない。
迫り来る真っ黒な瞳に、もう駄目だ、とキノールが目を閉じた瞬間——
「——— …危ない!!」
声
一筋の光が、駆け抜けた。
———————————————————————————————————
魔物達が、周りを全く見ていなかったことが幸運だった。他の誰かがこの場所にいるなどとは、考えもしなかったのだろう。
気づかれないよう、岩陰に隠れながら少しずつ——しかし、出来るだけ急いで——魔物に近づいていたクリスケは、
舞い上がった魔物が急降下を始めた瞬間、岩陰から飛び出した。
いきなりの行動に、ぎょっとしたようなカーレッジの声が響く。
『馬鹿、まだ早いっ……!』
「——— …危ない!!」
カーレッジの言葉に聞こえない振りをして、クリスケは叫んだ。
目を見開いて、キノピオの少年がクリスケの方へ目を向ける。
同時に、クリスケはその少年の肩を掴むと、走りづいた勢いに任せて、思い切り体重を前にかけた。
……だんっ!
「…っつ……!」
すれ違うような体制で、地面に倒れ込む。岩で出来た地面にもろに打ちつけられて、クリスケの胸が悲鳴を上げた。
息を詰めてそれをやり過ごし、クリスケは、とっさに閉じてしまっていた目を見開いて跳ね起きた。視界の端を、一瞬光がかすめる。
膝立ちのまま視線を上げると、先ほどまで向かってきていた魔物たちが何故か空中へと舞い上がっていた。
リーダーと思われる一番巨大なドラゴンが、驚愕の色を瞳に宿して、空中からクリスケを見下ろしている。
その瞳と目が合った。真っ暗な闇色の瞳孔が細くなり、ドラゴンの唸り声が響く。
『……お前達は何者だ』
その問いには答えず、クリスケは無言でドラゴンを見返した。
しかし、その手には、恐怖から来る冷たい汗がにじんでいるという事は、カーレッジしか気づいていない。
堪えるように手の平を握り締めながら、クリスケが、カーレッジにだけ聞こえるように呟く。
「どう、しよう…。後ろの人大丈夫かな…目、逸らしたら飛んで来られそうで振り向けない…;」
『—— …目線を外しても大丈夫だ。
少しの間なら、ためらいがあるから襲ってこない。その間に』
「…え?何でそんなこと分か…」
『根拠も無いのに言えると思うか?…多分、直ぐに分かる。大丈夫だ』
カーレッジの言葉に、クリスケは少しだけ迷うように視線を彷徨わせた。
しかし、その落ち着いた声音に、クリスケは一つ大きな息をつくと、ぐっと口を引き結んだ。出した答えは、“信じる”。
恐怖を振り払うように、一気に魔物から視線を外す。そして、そのまま振り返った。
「……大丈夫!?」
倒れたときに背中を打ちつけたらしく、顔を歪めている少年を抱え起こす。少年の背中と肩を支えて、クリスケはその顔を覗き込んだ。
もちろん、気を緩めてはいない。耳に、もし魔物の羽音が届いたら、すぐに反応できるように。
少しの間を置いて、少年がのろのろと瞳を開いた。紅い瞳が焦点の合わないままクリスケを見上げ、何回か瞬きを繰り返す。
クリスケよりもほんの少しだけ低い、幼さの残る声が、その口からこぼれた。
「……君…は……?」
「オイラの名前は、クリスケ。…良かった…間に合って…!大丈夫?」
「……何…で…僕のこと…知っ…、………」
「村の人に聞いたんだ。オイラの街も、あんな奴らに襲われて…他人事って思えなかったから…。
しっかりして、…名前、言える?…っ、駄目だよ、今目閉じたら…!」
力尽きるように瞳を閉じてしまった少年に、必死で呼びかける。今ここで気を失われても、とてもじゃないが守りきれない。
クリスケの声に、意識を手放しかけた少年が、何とかもう一度瞳を開いた。
無理もない、とカーレッジが苦々しげに呟くほどに、その身体は傷だらけだった。むしろ、失神していないのが不思議なほどだ。
焦りを抑えるように唇を引き結んで、魔物と少年とに、交互に視線を送っていたクリスケの耳に、弱々しい声が届く。
「…、…キノール……」
「キノール?分かった、えっと、とにかく今はどうにかして…。
…ちょっと数が多すぎるよね、あれは……」
抱えていたキノールを一度地面へ横たえて、クリスケは立ち上がった。
魔物の数は、目で見ただけでもおよそ三十。助太刀のつもりで来たのだが、これでは自分もやられてしまう。
まだ魔物たちは、ためらうように空中を旋回していて、すぐに襲い掛かって来る様子は無いが、もしこの数でいっぺんに来られたら——。
考えを巡らせながら、魔物を追う様に目を泳がせていたクリスケの中で、カーレッジの声が響く。
『…一旦、逃げた方が良い』
「……分かってる」
緊迫した響きのせいか、いつもよりも声が低く小さい。クリスケでさえ、注意していなければ聞き逃しそうだ。
ぐっ、と手の平を握り締めて、クリスケは視線を上げた。
圧倒的に不利だ、という事は分かっているのだが——
「分かってる…けど…助太刀する事しか考えてなかったから、逃げる方法考えてない…;」
『…やっぱりな』
「う、だからごめんって…、…っ!?」
二重の意味で冷や汗を流しながら、視線を上げ続けていたクリスケは、突然視界の端で動いた赤に目を見開いた。
魔物から視線を外して振り返る。
視線の先で、立ち上がれないほどぼろぼろだったはずのキノールが、肘を支えに体を持ち上げていた。
痛みに耐えるように歯を食いしばりながらも、そこからさらに体を起こして、自分の足で立ち上がる。
驚愕で固まっているクリスケと目が合って、キノールは一瞬だけ、“大丈夫”と言うように荒い息のまま笑みを浮かべた。しかし直ぐに表情を引き締めて、空へ視線を向ける。
ほぼ同時に、カーレッジが鋭い声で叫んだ。
『……来るぞ!』
「…っわ!?」
……ざぁっ!!
風を唸らせて飛んできた魔物が、とっさに身をかわしたクリスケの横をかすめて駆け抜けていった。
偵察を兼ねているのか、その数は一匹だけ。飛ぶ速さも遅く、キノールにも何とか避ける事が出来る程度だ。
すぐに襲ってこなかったことと、今の不自然な様子に、クリスケは微かに首を傾げた。
…いくらなんでも、慎重すぎる。
「オイラ、何かしたっけ…?」
キノールの傷から見ても、この魔物たちはもっと凶暴なはず。
小さく呟きながら振り返ると、魔物が大きく旋回して空へと戻っていくのが見えた。空にいた他の魔物たちが、譲るように道を空ける。
まるで何かを報告するかのように、その魔物はドラゴンの周りを小さくくるくると旋回しながら鳴き声を上げた。
目を細めてそれを聞いていたドラゴンが、——ふっ、と笑みを浮べる。
『他愛も無い…。何かと思わせておけば…只の一平民のクリボーか』
…そして響いたその言葉に、ざっとクリスケの背中を寒気が駆け下りた。理由も分からないまま、右手で左腕を抱きしめる。
一番最初に、クリスケの名を問い詰めたときの声とは違う。強いて言うなら、興味の欠落したような、声。
“人”には向けたのではなく、まるで“物”に向けて放ったような声色。
見下すように瞳を細めて、くつくつと笑いをこぼした次の瞬間、突然、ドラゴンは勢いよく翼を広げた。
クリスケを真っ直ぐに見下ろして、言葉を続ける。
『その出で立ち、村の者ではないな?良い所を邪魔立てした罪は重いぞ…、
…身の程を知らぬ愚かなクリボーよ、その身ごときに何が出来るか思い知るが良い!
望みどおり、貴様から先に滅してくれようぞ!!』
ドラゴンの声に覆いかぶさるように、クリスケ目掛けて、魔物の群れが一直線に空気を切り裂いた。
先ほどまでとはあまりにも違う攻撃に、クリスケが目を見開く。同時に、キノールの鋭い声が飛んだ。
「伏せて!!」
…あの魔物たちには、急な方向転換をする事は出来ない!
……ビッ!!
背中に衝撃が走ったが、痛みは伝わってこない。おそらく、シャツの上の上布が多少破かれただけだ。
とっさに身を伏せたクリスケの背中をかすめる様にして、急降下をしかけた魔物たちが再び空へと舞い上がっていく。
恐怖と安堵とで小さく息をついた後、クリスケは急いで体を起こし——上がった視線が、そのまま凍りついた。
視界に映ったのは、諦めなかった魔物の一匹が、空中で無理矢理体制を変えて、再び自分へと突っ込んでくる姿。
この距離では、避けられない。
「——っ…!」
息を呑み、クリスケが覚悟を決めて魔物の攻撃を受けようとした瞬間、
……だんっ!!
“———ッ!”
一瞬のスキをついて、キノールの腕で地面に叩きつけられた魔物が、悲鳴を上げて掻き消えた。
唖然としているクリスケの前で、キノールが、ぜいぜいと荒い息を継ぎながら顔を上げた。
表情を辛そうに歪めながらも首を振り、口を開く。その左腕から、たっ、と紅い雫が数滴零れ落ちた。
「……ここにいたら…危ない、僕だけでも…大丈夫だから…。
君は…クリスケは……逃げてっ…!クリスケにまで…怪我…して欲しく無いっ……!」
「……っ、…それはオイラも同じだよ!
目の前で誰かが傷つくのなんて、そんなの誰だって見たくな…、…っ!」
必死で言い募るクリスケの言葉をさえぎるように、視線の先——キノールの背後に、突っ込んでくる魔物の姿が映った。
考えるよりも早く、足が地面を蹴る。キノールの横をかすめて、クリスケは前へ飛び出した。カーレッジの制止の声には——これは後で謝ろう。
一歩分足を横に踏み変えながら重心を移動させて、斜め前方から、魔物に肩を思い切り叩きつける!
“———!”
リーダーのドラゴンとは違って小柄な魔物は、それだけで平衡を保てなくなり、悲鳴のような鳴き声を上げて空へと舞い戻っていく。
それを目の端だけで見やり、じんじんと痛む肩を左手で押さえながら、クリスケはキノールを振り返った。
その顔が歪んでいるのは、肩の痛みのせいではない。
正面に立つ紅い瞳を見据えて、クリスケは叫んだ。
「…一人で抱え込んじゃ、駄目だよ!!」
キノールが目を見開いた、その瞬間。
『———行け!』
ドラゴンの声と同時に、近くにあった岩の“影”から闇が噴き出した。魔物の形をしたソレが、翼を広げて空気を切り裂く。
不意をつかれた事で反応が少し遅れたものの、きっと表情を変えて、クリスケは迫ってくる魔物を正面から見返した。
この魔物は小回りがきかない。ぎりぎりまで引きつければ、避ける事なら出来る——!
さぁっ………
「…え?」
しかし、その刹那、目の前に迫っていたはずの魔物が、突然霧のように崩れて掻き消えた。
あっけにとられて、クリスケは空っぽになった目の前の空間を見つめた。後ろのキノールも、驚いたように同じ場所を見つめている。
どういう事、と前を見つめたままクリスケの口が言葉を紡ごうとし—— それよりも早く、カーレッジの鋭い声が響いた。
焦ったような声音が紡いだのは、
『……っ…、後ろだ、クリスケ!!』
「え——」
振り返ったクリスケの瞳に、別の影から音も無く現れていたもう一匹の魔物が映った。
クリスケと同じく、魔物に気づいていなかったキノールに向かって、その身体が叩きつけられる!
「キノール!!」
クリスケの叫び声が響く。
小柄な魔物、それに上空からの急降下では無いとはいえ、かなりの速さがついている状態なら、…その攻撃力を甘く見ることは出来ない。
ただでさえ満身創痍だったキノールの体が、耐え切れずに地面へと崩れ落ちた。
顔色を変えて、踵を返したクリスケがキノールの元へと走り出す。先ほどまで見つめていた方向に、完全に背中が向けられた。
次の瞬間、クリスケの耳に、風が唸る音が突き刺さる!
どぉんっ!!
「……っ!?」
背中に衝撃が走ると同時に、がくんっ、とクリスケの視界がひっくり返った。
何が起こったか分からないうちに、肩に痛みが突き抜け、身体が地面に叩きつけられる。
痛みで閉じてしまっていた目を開くと、真っ黒な瞳と目が合った。
数秒の間を置いて、背後から、さっきの魔物に襲われたのだ——と、ようやくクリスケの頭が理解する。
理解すると同時に、体に力を入れて逃れようとしたものの、肩口を地面に強く押さえつけられていて、逃げるどころか起き上がることもできない。
それでも何とか視線を巡らせると、少し離れた場所で、キノールが別の魔物に、同じように地面に押さえつけられていた。
気を失ってしまったのか、その手は力なく地面に投げ出されている。
唇を噛んで一度視線を戻し、魔物を精一杯の抵抗で睨みつけたクリスケの耳に、感情の無い冷たい声が突き刺さった。
『…鬼ごっこはおしまいだ』
「……、キノールを、放っ…、…!」
『こんな状況下でも他人の心配か?…呆れたものだ…、どうやら』
ドラゴンの翼が生んだ風が頬を叩く。
肩にかかる圧力を増されて、痛みで表情を歪めてもクリスケは視線を逸らさない。
その真っ直ぐな瞳に、ドラゴンの表情が変わった。影と光は相反する。影にとって、光は憎しみの対象にしかならない。
瞳に怒りと憎しみとを宿し、ドラゴンは低い声で唸った。
『思い知らされないと分からぬらしい』
ごぉっ!!
風の唸る音が響く。
オレンジの空をバックに、全ての魔物達が翼を広げた。一瞬の間を置いて、その全てが地上に向けて急降下を始める。
動けない、クリスケとキノールに向かって。
視界に映ったソレに、クリスケは心臓が跳ね上がった気がした。この先の光景を想像するのは、あまりにも簡単で——
「———っ!!」
声にならない悲鳴を上げて、思わず瞳を閉じる。
次の瞬間、
『——諦めるな!…まだ、私がいる!!』
ギィンッ!!
“———ッ!!”
突然響いた高い音に続けて、魔物の絶叫が空気を引き裂いた。目を見開いたクリスケの前で、光と風が巻き起こる。
自分とキノールとを押さえつけていた魔物が、何かに弾き飛ばされて霧に還っていくのが見えた。肩口に掛かっていた圧力がかき消える。
肘を支えに何とか体を起こし、クリスケは少しだけ咳き込みながら視線を上げ…、自分の目を疑った。
——入れ替わりの様にそこにいたのは、長身の剣を構えている、一人のキノピオの青年。
突然の出来事に、動揺した魔物たちが散り散りになって再び空へと逃げ戻っていく。
それを目だけで追い、青年は、驚愕で目を見開いているドラゴンへとその剣を向けた。その口が、強い意志を持った低い声を紡ぐ。
「友に手を出すことは、この私が許さない」
『…っ、…やはり……』
ギリ、と歯軋りの音が鳴った。
『錯覚だと思わせておけば…先ほどの芸当は、貴様かっ!!』
驚愕に彩られていたドラゴンの瞳が、再び怒りに染まって燃え上がる。
一方クリスケは、耳に届いた青年の声に、愕然としてその背中を見つめていた。聞き覚えのある低い声に、まさか、という呟きがこぼれる。
その時、クリスケの視線に気づいたのか、剣を降ろさないままで青年が振り返った。
深い藍色の瞳で笑って、口を開く。
「なんだ、その幽霊でも見たような顔は?…大丈夫だったか、クリスケ」
その、口調は。クリスケは、目を見開いて青年の瞳を見上げた。
クリスケの記憶の中で、この声と口調に該当するのは一人だけだ。しかしその人物とは、この世界では絶対に対面出来ることは無かったはず。
なぜなら—— …。
“単刀直入に言うと、影の女王に殺され——— ……”
頭の中を、あの時の彼の言葉がぐるぐると回っている。
もはや半分パニックに陥ったクリスケが、青年を無意識のうちに右手で指差しながら叫んだ。
「そっ、そ、その声…っ、まさか、……カーレッジッ!?」
ふっと苦笑いを浮べて、青年は——カーレッジは、首肯した。
…声が出てこない。肯定を受けて、訳が分からずますます混乱したクリスケは、ぱくぱくと口を開け閉めしながら目をしばたかせた。
カーレッジを指差したまま、行き場を無くした右手をおろおろと泳がせる。
「なん…何で…、か、影の女王に…殺されちゃった、って、言ってなかったっけ……!?
…まさか——」
混乱の中、思い当たった一つの可能性に、クリスケは言葉を失った。
カーレッジの瞳を見つめたまま、かすれた声がそれを紡ぐ。
「…生きて…たの……!?」
その問いかけに、カーレッジは黙って首を振った。その瞳に、一瞬影が差す。
困惑したクリスケが再び口を開く前に、カーレッジは視線を前へと戻した。
ドラゴンの唸り声を正面から受け止め、クリスケとキノールを守るように、剣を握る右手を振り上げる。水色のマントが、風にあおられて広がった。
一目で、王族のものと分かる出で立ち。しかし、足りない物が一つだけ。
王としての立場を示すはずの王冠は、彼の額から消えていた。
next・・