ーー四人の勇者の物語 5ーー 護りたいもの





「…この姿は——」


クリスケに背中を見せたまま、カーレッジが言葉を紡ぎ始めた。
振り上げた右手を構えるように止めて、強い瞳で魔物たちを睨み上げ、牽制する。
空気が張り詰める。今、魔物たちが無理に突っ込んで来たらどうなるのか——、
—— 剣などの武器とは全く縁の無かったクリスケにさえ、想像するのは簡単だった。
それは魔物たちも同じだったらしく、ためらいを示すように、その羽ばたきから力強さが消えていく。
振り返らないまま、カーレッジは言葉を続けた。


「…私の魂が、形を持って実体化した姿だ」


クリスケだけに聞こえるよう、低い声で伝えられた言葉。
その言葉に、クリスケは視線を上げてカーレッジの背中を見つめた。


「この世界に存在出来ない、干渉することは出来ない魂が、この世に関われる唯一の手段…と言ったほうが分かり易いか。
 一見は生きている時と変わらないが、この身体は決して人の身体ではない。…人のからは外れているんだ」

「……ことわり…?」

「ああ。それに…私が、こうして実体化出来るのは、ほんの僅かな間だけに過ぎない。
 あいつを倒せるかどうかは分からないが…それでも」

—— もう誰も殺させはしない—— …!!


言葉を切り、カーレッジは体の前で構えていた剣を僅かに引いた。
その隙を見逃さず、宙を舞っていた魔物が三匹、カーレッジに向けて急降下を始める。
危ない、とクリスケが叫ぼうとした次の瞬間、カーレッジの目が変わった。
“わざと”引いたように見せていた剣を、その動きを生かして捻る。手首を返して勢い良く振り上げ、足を踏み込み——



——— …ザンッ!!



飛び込んできていた魔物の内二匹が、たった一度の横薙ぎの一閃で、悲鳴を上げる間も無く黒い霧となってき消える。
驚愕で目を見開いたクリスケは、ドラゴンの瞳に、一瞬恐怖の色が浮かんだのを見た。
二つの視線の先で、振り切った剣を今度は袈裟懸けで叩き込まれ、残りの一匹が霧に還る。

たった三秒の出来事。

一度剣を降ろし、カーレッジは静かに顔を上げた。
突然逆転した形勢に、宙で凍り付いていたドラゴンが、その視線を受け止めきれずに僅かに後退する。


「…私が相手だ」

『……フン…』


呻きにも似た声をもらし、ドラゴンは嘲笑うように口を歪めた。


『面白い』


深く息を吸うように、ドラゴンの首が大きく仰け反る。
その動作にカーレッジは顔色を変え、ドラゴンに向けて駆け出した。


「クリスケ、顔を伏せろ!!キノールを庇え!」

「え—— 」


鋭いカーレッジの言葉について行けず、クリスケは目を瞬いた。
その刹那、



ごおっ!!



「——— ッ!?」


ドラゴンの口から、赤黒い炎が迸った。
灼熱の風に焼かれ、運悪くドラゴンの近くにいた魔物が抗うこともなく霧に還っていく。
何が起きたのかを考える間もなく、クリスケはキノールを庇うようにしながら反射的に身を伏せた。
目を閉じて真っ暗になった世界の中で、パァン、と何かを弾くような高い音が響き渡る。

その光景を目にしたドラゴンは、炎を吹きながら目を見開いた。
炎の前に立ちはだかったカーレッジの腕から、回すように突き出された剣が光を放ち、放ったはずの炎が打ち払われる。
弾き飛ばすような高音が響き、次の瞬間、そこにあった炎は嘘のようにかき消えていた。
名残のような炎の切れ端が、唯一の証拠としてきらめいて風に溶けていく。


『貴様…何をっ……!?』

「…“影”の炎程度なら、この剣には斬り裂ける。
 最も——」


かき消えた熱とドラゴンの呻き声を訝って、クリスケはそろそろと顔を上げた。
開けた視界の先で、カーレッジが右手の剣をもう一度構えるのが見えた。聞こえていた声音が一変する。


「…“本物”相手だったら、この芸当も通用しないだろうがな」

『——— …!!』


ドラゴンの表情が凍りつく。
言葉の出ないドラゴンの声を代弁するかのように、宙を舞っていた魔物たちが、一瞬、羽ばたきを止めた。
さらに一瞬の間を置いて、それら全てが、叩きつけるように、カーレッジに向けて真っ直ぐに飛び掛っていく。
魔物の翼が生む風でカーレッジのマントがひるがえり、クリスケは目を見開いた。
一匹一匹は弱いと言っても、あの数が相手では話が変わる。あんなに一斉に来られたら……!
背中に戦慄が走る。吹き荒れる風が一段と強くなった刹那—— …



……ヒュッ!



小さく風を唸らせ、カーレッジが構えていた剣を水平に凪いだ。
剣がかすかに光を帯び、ソレに呼応するかのように、無数の星の矢がその周りに生まれる。
向かってくる魔物たちに向けて、勢い良く剣を振り上げ振り下ろして、カーレッジは叫んだ。


「…〝スターシューティング〟!!」



—— キュイイィィンッ!!



澄んだ高い音と共に、星の矢が空を切り裂く。
流星雨のような光に貫かれた魔物が、一瞬で霧となってかき消えた。
かろうじて星の矢を免れた魔物たちも、驚愕し恐れをなして、一目散に逃げ出していく。
呆然とそれを見上げたクリスケは、魔物たちに捨て身で庇われて無傷なものの、ドラゴンが表情を無くしているのを見た。


「…すごい…」


無意識のうちに小さな呟きがこぼれる。
しかし、クリスケの呟きを覆い消すように、怒りのこもったドラゴンの咆哮が空を引き裂いた。
無表情のままでカーレッジを睨みつけ、無言のまま、勢いよく翼を広げる。



…ぶわっ!!



次の瞬間、岩の影々から消えたはずの魔物が飛び出した。
キノールの前でも見せたその力に、今度はクリスケが目を見開く。しかもその数は、先ほどよりも明らかに多い。
戸惑うクリスケとは対照的に、カーレッジはかすかに眉を寄せただけ。
自棄を起こして飛び掛ってきた魔物を一瞬で霧に還し、背後からクリスケとキノールに迫っていた魔物を振り向き様に弾き飛ばす。
しかし、何匹かの魔物を掻き消しても、すぐにその数と同じ分だけ岩影から魔物が飛び出してくるのだ。
変わらない現状に、僅かにカーレッジの表情に焦りが見え始めた。
クリスケの脳裏に、実体化した時のカーレッジの言葉が駆け抜ける。


—— …こうして実体化出来るのは——— …


“時間制限”を思い出して、クリスケの表情が変わった。


—— いつまでもぼうっとしてたら駄目だ…!とにかく、キノールを何とかして助けないと…!


放心していた自分を叱り、頭を振って気を引き締める。
突然のこと続きでまだ頭が混乱してきる気はするが、
今分かっていて大切なのは、「カーレッジが戦えるのはあとちょっとだけ」…らしい、ということだけだ。
一人きりでは、キノールどころか自分の身すら守れそうにない…!


「キノール…キノール、しっかりして!起きて!お願いっ…!!」


瞳を閉じたままのキノールの肩をつかみ、必死で呼びかける。
しかし、反応は帰ってこない。その間にも二度三度と何かを弾くような剣戟の音が響き、クリスケの焦りは増していく。
一瞬視線を向けて垣間見たカーレッジの表情は、もうかなり辛そうだった。
焦りを押さえ込むように強く目をつむり、クリスケはキノールの耳元で思い切り声を張り上げた。


「キノール!!」


——— ……

…ぴくん、と指先が動いた。
息を詰めたクリスケの視線の先で、奇跡のようにその紅い瞳がうっすらと開いた。
ぼんやりと宙を見上げた瞳が、視界の端にドラゴンを映した瞬間、輝きを取り戻して見開かれる。


「キノール、大丈夫!?」

「……っ、…平気…、ごめん、僕…気絶して…ドラゴンはっ…!?」

「今はまだ大丈夫だけど…」


キノールに手を貸しながら、クリスケは言葉を濁してカーレッジへと視線を向けた。
何とか体を起こしたキノールの視線が後を追い、やがて見覚えの無い青年…カーレッジに気づいて止まる。
それを見て、クリスケはキノールを安心させるように笑った。


「大丈夫、カーレッジ…えと、あの戦ってくれてる人はオイラの友達だよ」

「……友達…?でも、さっきは…クリスケ一人…で…」

「えーっと…ちょっと何か今良くわかんない事ばっかりで、オイラも何が何だかで…;
 後でちゃんと説明してもらったら話すから、味方だって事だけ信じてて。…キノール、立てる?」


戸惑った表情をしながらも、こくん、とキノールが頷く。
安堵の息を一つだけつき、クリスケはふらつきながらも立ち上がったキノールに肩を貸しながら視線を上げた。


「カーレッジ!」


名前を呼ぶと、振り返ったカーレッジと目が合った。クリスケの直感が、カーレッジの実体化に限界が近づいてきている事を教える。
カーレッジも分かっているのか、急降下してきた魔物を一閃すると、タン、とバックステップで地面を蹴った。
一跳びで戻ってきたカーレッジに、先ほどの言葉がクリスケの脳裏を掠める。
……確かにこの運動能力は人の理から外れまくっているかもしれない。


「良かった、気がついたんだな。大丈夫だったか?」

「…あ、うん、オイラ達は大丈夫だけど、……」


カーレッジの方こそ大丈夫なの?

口ごもり、目だけで尋ねるように、クリスケは顔を魔物達の方に向けたままのカーレッジを見上げた。
カーレッジの言う“僅かな間”がどれくらいなのかは知らないが、残り時間が少ない事くらいは分かる。
振り返らずとも、背中に突き刺さってくる不安げな視線。
カーレッジは旋回している魔物に剣を向けながら苦笑して——、


「ああ、…私はもう、あと僅かしか実体化を続けられない」

「僅かって…だから、どれくら」

「一分が限界だ」

「…一分ッ!?」


予想よりもずっとずっと少ない数字に、クリスケは絶句した。
雰囲気で察したのか、事情を知らないキノールも、不安げにクリスケとカーレッジを見つめている。
もう、ここからは完全に時間との戦いだ。
すぅ、と軽く息を吸い、カーレッジが剣を横に払う。星の矢が生まれると同時に剣を振り上げ、

                      
 大本
「…実体化に限界が来る前に、あのドラゴンとケリをつける!」



……パァンッ!



振り下ろす動きと同時に強い光が弾け、星の矢が再び弧を描く!
迫っていた魔物たちが一瞬で霧に還るが、その体に阻まれ、やはり星の矢はドラゴンまで届かない。
そして息をつく間も無く、消滅したのと同じ数だけの魔物が岩の影から姿を現した。
さすがに舌打ちをして、カーレッジが剣を構える。


「その場凌ぎにしかならないな…」

「〜〜〜っ、どうしたら…っ」

「魔物を一掃した後の隙さえ突ければ良いんだが…。
 …普通の剣戟では届かないし、スターシューティングでは光を溜めるまでの時間があるからどうしても間に合わない…!」


悔しげに返された言葉に、それを聞いていたキノールの表情が変わった。
しかし、必死で考えを巡らせているクリスケはそれに気づかない。
容赦無く迫ってくるタイムリミット。
逃げるにしても、岩に隠れながら、という手段はもう通用しないだろう。こんな魔物の只中からではとても無理だ。
運よく逃げ出せたとしても、逃げ切る前にカーレッジに限界が来てしまう。というか逃げ切る前に絶対に追いつかれる。
かといって、カーレッジがいない状態でボロボロの自分たちが戦っても、…とてつもなく悔しいが…勝利出来るとも思えない。
逃げることは出来ないし戦うことも出来ない、けれどどうにかしないと本当に怪我だけでは済みそうにないのにああもうこの状態でどうしろって……っ!!


「…—僕も—— …」


焦りでぐるぐると走り出していたクリスケの思考が、耳のすぐ近くで聞こえた声に止まった。
驚いて視線を横に走らせると、疲労で前屈みになりながらも、キノールが真っ直ぐにカーレッジを見つめている。
そして、呟いた言葉をもう一度強く繰り返した。


「……僕も…、戦います…!」

「……っ!?」



…ザンッ!!



目を見開いたクリスケの耳に、もう一度剣戟の音が響く。
反射的に視線を向けると、剣を振り切ったカーレッジが自分たちを振り返っていた。
クリスケとほぼ同じ表情をして、カーレッジが口を開く。


「……本気か?」


確かめるように向けられた問いかけに、視界の端でキノールが無言のまま頷く。


「なっ、キノ…キノール、もうボロボロなんだよ!?そんな無茶し」

「貴方がさっきの光で魔物を消した瞬間なら…、あのドラゴンに攻撃が入る…!
 事情は…知らないけれど…逃げられないのなら、追い払うしかない…ですっ……!」


クリスケの言葉を遮って、キノールが絶え絶えながらも言葉を紡いだ。
体はボロボロでも、その瞳は一目で本気と分かるもの。
間が空いたのは一瞬。返された答えは、


「…頼む!」


そのとたん、クリスケの肩にかかっていたキノールの重さが掻き消えた。
前屈みの姿勢を逆に利用しているのか、その足で強く大地を蹴り、キノールがドラゴンへ向けて走り出す!


「キノ…っ」

「クリスケはそこにいてくれ!」


キノールの後を追って走り出しながら、カーレッジが剣を振り上げた。
生まれた星の矢が煌き、剣が振り下ろされると同時に空へと解き放たれる。矢に貫かれた魔物たちが一瞬で掻き消え、ドラゴンが何度目かの舌打ちをした。
そして、再びその翼を広げようとした瞬間——



…ィンッ!!



『っ!?』


ドラゴンに向けて放たれた、一本だけの星の矢が空を切り裂いた。
その矢の行く末を最後まで見届けず、カーレッジの姿がそこから揺らいで掻き消える。
同時に、一筋の白い風がクリスケを囲むようにしながら強く吹き抜けた。


『…チ…ッ!』


自分の盾となる部下を生み出す暇も無い。空中で体を捻ったドラゴンの翼を掠め、星の矢が空の彼方へ消え去る。
攻撃にもならない僅かな牽制。しかしそれは、…一瞬の集中力を削ぐのには充分なモノ。
体制を崩して羽ばたくドラゴンの下を潜り走り抜け、キノールがその後ろに回りこむ!


『あのドラゴンの巨体は幻と同じだ、一度でも攻撃が当たれば良い!』

「……!」


実体化を解いたから戻ってきていたのだろう。
自分の中で響いたカーレッジの声に、希望と不安とを一気に抱えて、クリスケは強く息を詰めた。
遠心力と走ってきた勢いを利用して、キノールが手頃な岩に手をかける。その肩に力が入るのが、遠くからでも分かった。
同時に、…その表情が苦痛で歪んだのも。
キノールの後を追って無理矢理走り出しながら、クリスケは思い切り声を張り上げた。
少しでもドラゴンの注意をこちらに向けさせる。絶対に後ろは振り向かせない…!


「…行けえ——っ!!」


「——— ッ!!」



……ぶんっ!!



キノールの気合と共に宙に放たれた岩が、勢い良く弧を描く。
体制を崩していた事と、急に走り出したクリスケに目を向けていた事で、ドラゴンの注意力は霧散していた。
一瞬遅れてようやく気配に気付き、背後を振り返ったドラゴンが目の前に迫る岩に目を見開く。
瞬時にその翼が広げられ——



…ドォンッ!!



『…———— ッ!!』


絶叫が、響く。
思わず耳を塞いでしまいそうになりながら、クリスケは空を見上げた。
何とか羽ばたいているドラゴンの背から、当たった時の衝撃で砕けた岩が地上へと落ちていく。
それに呼応するように、生まれかけていた魔物達が只の闇になって崩れていくのが見えた。


『ッ…の…!』


実体化を解いた時のカーレッジと同じように、ドラゴンの姿が揺らめく。
呪いの言葉を吐きながら、ドラゴンは表情を歪めた。空を裂くような声が、その口から放たれる。


『く…ッ、今は…見逃し、てやる……!…だが、次は…っ、逃しは…しないぞ—— …!!』


その言葉を最後に、ドラゴンの姿と気配は掻き消えた。
…しん、と今までの戦いが嘘のように、岩場に静寂が降りる。
放心して空を見上げ続けていたクリスケは、耳に届いた音に視線を下げ—— ようやく我に返って、慌てて走り出した。


「…キノール、キノールってば、大丈夫!?ねえ…!」

「………あ…」


音の正体—— 両膝を地面についたキノールに呼びかける。肩を掴んだ所でようやく反応があった。
気が抜けたのか、ぐったりとしているキノールの身体を支えて一緒に腰を降ろすと、クリスケの身体も一気に痛みを訴え始めた。
気が抜けるって怖いなあ、と内心で呟きながらクリスケは長いため息をつく。
息を吐き出して視線を上げると、まだぼんやりとしているキノールと目が合った。


「……魔物たち…、……もう、消えた…?…村…は、みんなは……」


クリスケの耳に、切れ切れのキノールの声がなんとか届く。


「うん…たった今…ふー……キノールの攻撃受けて、逃げてったみたい……。
 魔物たちも一緒に消えてたから、多分、もう大丈夫だと…思う…」

「………よかっ…たあ……」


ほっとしたように微笑んだキノールの体から力が抜ける。
そして、



…とさっ



「……っ…キノール?」


急に自分の肩口にかかったかなりの重さに、クリスケが困惑したように呟く。
瞬き三回ほどの時間をおいて、ようやく、クリスケの思考が、キノールが全体重を自分に預けて倒れてきたのだという事を理解した。
そしてさらに、それが何を意味するか理解するのに約三秒———


「……って、えぇえええ!?ちょ…っ駄目だよキノール、しっかりして!
 …え、待って、うそ、…し、…しん……っ!?」

『……落ち着け、息をしてるだろう』

「え?あ……気絶した、だけ…?よ…よかったー…」


今にも揺さぶって覚醒させる気だったのか、キノールの肩を掴んだまま、クリスケは安堵の息を吐いた。
あんまり儚げに倒れたものだから、身体が壊れてしまったのかと思った。
とりあえず、近くの地面にキノールの体を横たえる。しかし、一呼吸置いて、今度は困ったようなため息がその口からこぼれた。
何とか危険は去ったが、この後どうすれば良いと言うのだろう。
……しまった、考えてない。


『とにかく、村の住人の元へ運べれば良いんだが……。……運べそうか?』


クリスケと同じことを考えていたのか、カーレッジが提案する。が、


「……………」


目と、残っている感覚でキノールの身長と体重を測っていたらしいクリスケが沈黙した。
そもそもクリスケ達クリボーは種族柄、小柄で体重も少なく痩せている者が多い。それに大してキノピオ族は特にそういう特徴は無いのだ。
それに今思い出してしまったが、自分は村の正確な位置を知らない上に、この岩場から森までの距離も結構ある訳で———


「………………無理かも」


思考を途中で中断させて、クリスケが呟く。そもそも自分だって体力がかなり限界に近いのだ。
とは言え、このままここで止まっていてもどうしようもない。


「………困ったなぁー…」


何とかならないかと思考を巡らせてみるが、疲れた頭には何も浮かばない。
うんうん宛てもなく唸っている内に、気力の方が負けてきた。
気力が無くなるに連れて増していく体の痛みと疲労に、段々思考が動かなくなっていく。


「……………」

『……クリスケ?どうし———』


聞き取れたのはそこまでで、急に世界が暗くなる。
遠くなっていく意識が、くらりと傾いた夕日を最後に見ていた。







———————————————————————————————————







『——— ……』


……何?


『—— …— ………」


……何だろう、誰かが誰かを呼んでる。
…誰を呼んでるんだろう。名前が聞き取れない…。知ってる人だったら教えてあげるのに。
あんなに必死に呼んでるのに、オイラが気付いてるのに、なんで呼ばれてる人は気付いてないんだろう?
………あれ?
なんか、こんなこと……前にも————


「——— ケ…、……クリスケ!」

「…っ、……ふぇ?」


ぼんやりとしていた意識が、呼ばれた名前に引き上げられる。
続いて、頬をそっと叩かれているような感覚に目を開けると、群青色の空をバックに、心配そうな藍色の瞳が自分を覗き込んでいた。
目が合うと、その瞳が安心したように少しだけ笑みを浮べる。


「良かった、やっと気がついたか」

「……カーレッジ?…なんで…?さっきもう実体化限界、って…」

「ああ、だからしばらく時間を置かないといけなかった。
 …疲れたんだろうな、お前がいきなり倒れてから…本当はすぐ実体化してどこかへ移動させたかったんだが…」


言葉を紡ぎながら、頬に添えられていた手が離れていく。
ぼんやりとした意識でそれを目で追ってから、クリスケは瞬きを繰り返した。
とりあえず、自分が倒れたときの事と、それまでの戦いのことは何とか思い出せる。
まだ体のあちこちは痛いが、これくらいなら多分大丈夫だろう。


「…今、何時…?」


一旦考えることを止めて、クリスケはふと浮かんできた疑問を口にした。
最後に見た景色は橙色だったはずなのだが、辺りはもうすっかり暗くなっている。…そんなに長く気絶してしまったのだろうか。
少しの間カーレッジは記憶を辿っていたようだったが、やがて一人頷いた。


「お前が倒れてから、大体…三時間…だな。もう夜になる」

「うそ、そんなに!?;」

「あれだけ戦った後だ、無理も無い。…そもそも、魔物相手に戦う事自体初めてだっただろう?」


そうは言われても、何と言うかやっぱり情けない。
うぁー…と呻き声を上げながらクリスケは大きくため息をつき、改めて目を開けて——


「…ってそうだキノールは!?オイラが気絶する前に確か気絶してっ…!」


がばっと身を起こすと、自分の隣で眠っているキノールが視界に入った。
安堵しながらも、急に体を起こしたせいであちこちに痛みが走り、思わず顔をしかめる。
とはいえ、キノールの顔色は、月明かりが頼りとはいえ、最後に見た時よりも随分良くなっているようだ。
もう大丈夫かな…と、まだ少し痛む肩を擦りながら、クリスケが笑みを浮かべて呟いた。
それを聞いて、カーレッジもまたそこから立ち上がる。


「……さて…クリスケ、気がついたばかりなのに急かすようで悪いが…。
 出来るだけ早くここを移動した方が良い。今はまだ良いが、明け方の冷えはさすがにお前たちには障るぞ」

「うん、分かっ……あ。でも……オイラには…;」

「分かっている、キノールなら私が運ぼう。戦闘のように激しく動かないのなら、実体化もそれなりの間保てる。
 村まで辿り着けるかはあまり自信が無いが…少しでも近づいておいた方がまだ良いだろう。
 …私なら疲労はもうほとんど残っていないから問題無い。実体化を解いてから三時間も間を開けたのだから充分だ」


言葉の途中でクリスケに心配するような視線を向けられ、カーレッジがそれを言葉で否定する。


「……それなら、オイラも凄く助かるけど…。本当に大丈夫?」

「ああ、心配無い。…魂が実体化したこの身体は、疲労の蓄積も本来の人とは違うからな。
 …この身体になって、いっそ以前よりも助かっているくらいだ」


微かに苦笑して、カーレッジがすっと足を折る。
その背にキノールを預けるのを何とか手伝いながら、クリスケは気付かれない程度に目を伏せた。
その苦笑に自嘲が混じっていることを見抜けないほど鈍感じゃないし、そういう言葉は聞いているとこっちまで悲しくなってしまうものだ。
カーレッジに合わせて立ち上がりながら、少しだけ視線を外してクリスケが口を開く。


「……カーレッジ」

「何だ?」

「村に戻るまでの間に、いくつか質問しても良い?」


少しの間のあと、視界の端でカーレッジが頷くのが見えた。
それを確認してから、さてどこから聞こうかと考えを巡らせる。
アリウスを出てからずっと慌しかったから、思えばカーレッジのことも何も聞けていないのだ。
何がどうしてカーレッジがこんな事になったのかも、彼の言う“魂”のことも、カーレッジには何が出来て何が出来ないのかも、何も知らない。
幾つかの質問をくるくると思い浮かべていると、一つの疑問が真っ先に頭に引っかかった。
…まずはとりあえず、この一番訳の分からない事から聞いてみよう。


「……えーと、じゃあ…さっきは戦いの真っ最中だったから全然聞けなかったんだけど、」

「…実体化のことだな?」


言おうとしていた言葉を先に言われて、クリスケは思わず逸らしていた視線をカーレッジに向ける。
その視線に苦笑し、…疑問に思わない方がおかしいからな、と前置きしてカーレッジは言葉を紡ぎ始めた。


「……長くなるから歩きながらで良いか?
 どこから説明すれば良いか…。……クリスケ、さっき私が実体化するまで、クリスケは私を何だと思っていた?」


急に向け返された質問に、一度瞬きをする。
そして言葉を返そうとして—— ふとその口を閉じ、クリスケはしばらくうろうろと視線を彷徨わせた。
が、やがておずおずと視線をカーレッジに戻し、問いかけを口にする。


「その………怒らない?」

「何となく、言われそうな事の予想はついているから気にしなくて良い」

「じゃあ言うけど…。……魂って言うか…幽霊に近いひとかな、って思ってた。
 最初に会った時、オイラカーレッジのこと幽霊って言ったでしょ?あの後も特に何も言われなかったから、そのまま…」

「——— …まあ、大雑把に言えばそれで正解…だな」


クリスケの答えに、カーレッジが思案するように瞳を閉じる。
言葉を捜すように、しばらくぶつぶつと何かを呟いた後、カーレッジは口を開いた。


「………詳しく説明していたらキリが無い…簡潔にいくぞ。
 そうだな…まず、私は本来の体をもう持っていない。体の外に出た魂だとでも思ってくれ。
 だから普段はああして、クリスケの体の中に一緒に留まらさせてもらっている。
 魂は、一度体の外に出ては長くは留まれないし、充分な思考をする事も出来ないからな」


そこまでは、伝え語りや今までのカーレッジの話から何となく理解できる。
クリスケが頷くと、カーレッジは話を再開しようとして——その前に一つ、小さなため息をついた。


「…ややこしいのはここからなんだ。
 普通それに加えて、魂でも霊でも、一度体の外に出れば実体は得られない。物にも触れられない。
 だが、私の場合は…、………、…色々とあってな、お前の外に出ても、こうしてこの世界で実体を得る事が出来る。
 実体を得ている時なら、魂というより人に近い存在だし、思考も会話も出来る。
 …最も、可能なのはかなりの短時間に過ぎないのだが。…ここまで分かるか?」

「な、何とか。多分…;
 えっと、今のカーレッジは魂で、何かよく分かんないけど色々あって、実体化が出来る…んだよね?」

「…まあ、簡単に言うとそうなるな」


クリスケの確認に頷いたカーレッジを見て、今度はクリスケが感嘆にも似たため息をつく。


「……はー…、凄いなぁ…。
 ねえねえ、じゃあさ、その実体化の仕組みとかはどうなって…他にも何か特別なことあったりするの?
 疲労の蓄積が人と違うとか、…あとどうして時間置いたらまた実体化が出来るようになるの?それから、その“色々あって”って何があっ……いたっ!?;」


ふいに頭を手の甲で軽く叩かれて、クリスケが反射的に声を上げる。
…いや、別に全然痛くは無いんだけど、だからって話している途中で叩かなくったって!
頭を押さえながら、しかめっ面で顔を上げると、カーレッジがその手を口元に当てて、小さく——けれど本当に可笑しそうに、笑っていた。
珍しい…というよりも、苦笑以外の笑みを初めて目にして、そのままの体勢でクリスケがきょとんとカーレッジを見返す。


「…オイラ、そんなに変な顔してた?」

「……っいや、そうではなくて…。…すまない、悪かった。
 あまりに質問を小さな子のように楽しそうに次々繰り出すから…。こっちもつられてしまったというか」


「何それー!?」と抗議するクリスケを黙殺して、カーレッジはまた小さく笑った。
実体化…この力は、自分が死んでいるからこそ出来るもの。
確かに都合は良いが、自分がもう人の身ではない、普通ではない事を突きつけられるものだ。
正直あまり好きではなかったのだが、…そんなに純粋な尊敬で目を輝かせて「凄い」と言われてしまっては。
全く、とカーレッジは顔に出さずに苦笑する。
…疎ましく思おうにも、出来なくなってしまうじゃないか。
下手に同情するのではなく、無意識の言葉で人を励ませるあたりが、クリスケの凄い所なのだろう。


「…とにかく…一度に一気に教えても混乱するだけだろう?
 今はそれだけ知ってくれていれば良い。話す必要がある時に少しずつ説明するから」

「…はーい」


確かにそれは正論なので、頭を押さえたままでクリスケも笑った。正直そろそろ頭が混乱してきていたのだ。
…勉強や暗記はかなり苦手な方だということは、多分すぐにカーレッジにバレてしまうだろう。
今はまだ分からない事の方が圧倒的に多い。が、


—— きっとそのうちに分かってくるよね


キノール達のことですっかり忘れていたが、そういえば勇者探しの事がすっかり頭から抜け落ちていた。
出会って数日で全てを知るなんて絶対無理なのだから、旅の中で少しずつ知っていければそれで良い。
さっき頭に浮かんだ問いは、この後落ち着いてからゆっくり聞いてみよう。
今は、とりあえず。


「…早く村の人…出来ればさっき森の中で会った人たちに会えれば良いんだけど…とにかく、見つけなくちゃね。
 カーレッジ、今は戦ってる訳じゃないけど、こういう時ってどれくらい実体化もつの?」

「…あと5分から10分だな」

「ええ!?短いよそれ!1時間くらい大丈夫かと思ってたのに!;」

「さすがにそこまで私は強くない。…それに今日は只でさえ何回か実体化を繰り返しているからな。
 とにかく進めるだけ進もう。…見つかることを祈るしかないな」





そして、10分後。
実体化に限界が来たカーレッジが、クリスケの中へと戻る。
岩場の終わり、森の入り口で、


「………やれるだけやってみるしかないかー…」


ため息と共に、クリスケが膝立ちでキノールを抱えながら呟いた。
結局、近くに人は見つからず、出来るだけ早足で森までは戻ってきたのだが、村への道も未だに分からないままだった。
キノールが目を覚ましてくれればまだ何とかなりそうなのだが、疲労の影が落ちたその目は開きそうに無い。


『…すまない…何とかなりそうか?』

「起きた時よりは体痛くないし、多分大丈夫。最悪駄目だったとしても、森の中だったら眠れる場所あるかもしれないし。
 ……っ、と!……うん、何とか行けそうだよ。頑張ってみる」


キノールを背中に背負い上げて、クリスケが少しよろよろしながらも森の中へと入っていく。
登ってきた月が、しばらくの間その背中を照らしていたが——やがてその体は、森の闇の中へと、消えた。





next…