……ここから先は、僕しか覚えていないことなんだ。
クレスも、普段は忘れてしまっているし、クリスケ達ももちろん知らない。
まあ、忘れているとはいっても、心の底には深く深く刻まれているんだけどね。
だから僕が覚えていられる。

ええと……彼はもともと夢の中にいたのだから、不思議な表現になってしまうんだけど…そう。
彼は、夢を見たんだよ。
夢の中で、夢を、ね。




そこは真っ暗な世界だった。
その暗闇の、さらに暗い方へと、クレスはふらふらと歩いていた。
もう心も身体もぼろぼろで、立ち止まることすらおっくうで、
見えない手に引きずられるように、ただ、何処かへ向けて歩いていってしまおうとしていた。

だけど、その時、微かに歌声が聞こえたんだ。
ゆるやかに伸びてゆく、優しい旋律。高く低く、重なった歌声。柔らかい手拍子。
長く長く無音の世界に閉じ込められていたクレスにとって、
その歌声ほど、強く彼を引きとめたものはなかった。
闇の彼方へと歩いていこうとしていた足が、のろのろと、動きを止める。振り返る。

そしてクレスは、導かれるように、その歌の聞こえる方へ歩き始めた。
やっぱり声は出ない、ミラもない、
それでも、歌が、音楽が彼を呼んでいた。




♪よいし よいし 泣くなよ 手の 鳴る 方へ……




やがて歌声が大きくなって、彼の周りから包み込むように聞こえ始めた。
声の出せないままに、彼は尋ねた。



きみはだれ?



返事はなかった。
けれど誰かがクレスの手をそっと握り、誰かがクレスの肩をぽんと叩いた。
そんな経験が一度もなかったクレスは、それはもうびっくりしてね。硬直してしまっていたよ。
自分以外のぬくもりになんて、触れたこともなかったんだから。
とにかく、彼はもう一度、おそるおそる問いかけた。



……ねえ、どこにいるの?



さざなみのように、暖かい笑い声がクレスを包んだ。
そして彼はやっと気づいた。
そう、それは、いつもいつも、あんなに恋い焦がれていた、あの笑い声だったんだ。
クレスは、驚いて、うろたえて、とにかく何か言おうとしてでも何を言えばいいのか分からなくてどちらにしろ声は出なくて。
そんな彼を気遣ってか、彼を包む笑い声のうちの一人が、そっと言った。


「——君を、待っているから」


自分以外の声が、初めて彼に向けられた。
乾ききっていた彼の心に、その言葉は、待ち侘びた雨のように染み込んでいった。

もう、そこまでで限界だった。ずっとずっと我慢していた糸が、ふっつりと切れた。
…まるで小さな子供のように、声を、上げて。クレスは泣いたよ。
背中を撫でてくれる手も、少し呆れたようにぽんぽんと頭を叩いてくれる手も、
ますます彼の涙を呼んでしまうだけだった。
……どんなにあの時嬉しかったか、僕だけではとても語りきれないだろうね。
今まで、ずっとずっと、そのぬくもりに恋い焦がれていたのだから。






「ねえ、歌って」

「聞かせてよ、君の歌を」


「——っ、ぼく、は」
「もう、うたえなく、て」


「どうして?」


「だって、声が」





「声が……」











あなたにあえる ゆめを み た

あなたにとどく きが し た

ひとりいどむ うなば ら に

ひかりさすひが こなく と も





さあ、手拍子を。






♪春の憂鬱に 喜びを 夏の匂いに刹那 色 木枯らしに舞う 冬の 声  季節外れに 咲いた花





それは夢だけど夢じゃなかった。
今まで、気づくことが出来なかっただけ。
そうでなければ、クレスはたとえ夢の中でも、決して彼らに会うことは出来なかっただろうから。





♪鳥は いつか 旅路の果てに 愛しい 手の 手の鳴る方へ


♪遠く 遠く 僕らは行くよ 近く 近く 呼び合い なが ら……









































………そして



目を覚ましたクレスは、その最後の夢をほとんど忘れてしまっていたけれど……。

瞼を開き、彼が最初に見たのは、脈打ちはじめた広い空。
胸の上には、あんなにも探し回ったミラがちゃんと乗っていて、
少しずつ、無色の世界が、星空と草原に抱かれた世界へと変わっていくのがはっきりと見えた。
彼はしばらくの間、呆気に取られたみたいに星空とミラを交互に見比べていたけれど、
やがて、おそるおそる、喉に手を添えた。そして彼の声は、今までと全く変わらずに、空気を揺らした。
もう、長い夢は終わりだ。
やっぱり少しだけ不安は残っていたけれど、彼はもう、迷わなかった。
心の底には、彼を待ってくれている人がいるということが、ぬくもりと一緒にちゃんと刻みこまれていたからね。


歌を、紡ぎ始める。世界が動き出す。






(星空の、その存在の、私たちがここにいる奇跡を、想える子になるように)






——それが、僕の記憶。
クレス・スターリィが、本当に本当の意味で、この世界へ生まれた、
その幸せな幸せな瞬間の、記憶。




ねえ、聞こえますか?


"僕"が今、ここで、貴方へ向けて歌っている、ささやかな声が。





(あのとき、僕を繋ぎとめてくれた、
 たくさんの優しい声に、
 心からの、ありがとうを込めて)






"Please remember me"

I'm alive and singing for you
thanks for your voices
I won't forget you


I love you



I love you.






































後書き。