空の代わりに頭上を覆う、剥き出しになった地盤。地下に閉じ込められた城の中庭を、ひとつの小さな影が俯いて滑っていく。毛先がふんわりとカールした桃色の髪と、大きなとんがり帽子との下に隠れながら、その影はぐすぐすと啜り泣きをしていた。
「……ない…。やっぱりない……。何処に落としちゃったのかなあ……」
 目元をぐしぐしと擦っては、縋るように辺りを見渡す。もう何度目になるのか分からない溜息をついて、彼女、いや彼は、途方に暮れていた。

 持たされた覚えもない「星の鍵」とかいうものを、何処へ置いてきたんだ、と姉に問い詰められたのが今日の夕方のことだ。知らないといくら言ったってこれっぽっちも取り合ってもらえなかったので、もしかしたらやっぱりアタイが預かってたのかなぁ、覚えてないだけで、とビビアンはぼんやり考える。今夜真夜中までに絶対に探してくるんだよわかったね!と言われて放り出されたものの、さっぱり見つけられる気がしない。真夜中まではあと一時間しかない。

「…アタイ、どうしたらいいんだろ……」
 また浮かんできた涙を、ビビアンは弱々しく拭った。
 とても大事なものらしいので、見つけられなかったら、お姉さまにオシオキされるどころか影の女王様にまで叱られてしまうかもしれない。焦りと恐怖で加速し始めた心臓が痛いくらいだった。
「……あれ?」
 その時。込み合った茂みの影で、きらりと何かが光った気がした。ビビアンの表情がぱっと輝く。……しかし、勢いよくその影に手を突っ込もうとするのと、同じ影からもう一人の姉が勢いよく飛び出してくるのが、不幸なことに、見事なまでに同時だった。
 城の中庭に、高い悲鳴と低い呻き声がわんわんと木霊した。



 ——派手な音を立てて激突した顎を押さえて、しばらくの間呻いてから、ようやっとビビアンはそろそろと顔を上げた。同じように引っくり返った姉が、無言で肩を震わせながら額を押さえている。……相当痛かったらしい。
「……えーと……お姉さま?」
「…んあ」
「大丈夫…?」
「んあ〜……」

 ゆっくりと頷き、マリリンは無言で立ちあがると、ひょいとビビアンの手を取った。不思議そうに見上げてくるビビアンに、ぽつりと呟く。
「んあー…。んあー」
「……え、えええ!?やっぱり星の鍵はお姉さまが持ってたの!?」
「んあー」
「しかもアタイが帰ってこないって怒ってる…!?」
 ただでさえ血色のよくない顔色を真っ青にして、ビビアンはマリリンを引っ張るように影の中へ飛び込んだ。




 この闇に染められた城の中に、唯一残された白き場所。
 元は天文台だったのか、空へと高く伸びあがるその白い塔は、影の女王の魔法を持っても闇色に染めることが出来なかった。
 その代わりに——
 一月という時間を掛けて、女王は塔をじわじわと作り変えていった。
 家来達を全て城に留めさせ、塔全体に細かなからくりを組み込ませた。そして彼女本人は、幾重もの魔法を、何日も掛けて塔の中に染み込ませた。

 そして——









……北東の星から

南西の現を唱え

南東の光へ歩み

北西の闇を謳えや 歌え



『星の 理を 知り』

『天の 理を 知り』

『天より 落つる 星の輝き』

『技を 以て 石に 宿す』


『星の力が 宿りし 石を』

『7つ 全てを 創りしは』

『おお 偉大なる 我らが』

『闇と 影の 主よ』






堕ちよ

影照らす星の力

天空に聳える光の力


闇よ影よ
暗き深淵の炎よ

空に在る天使の翼を
引き千切れ


光よ 光
闇照らす星の光

輝く七重の石牢の中で



静寂の影と成れ







___________________________________








 苦しい。息が出来ない。
 ——それなのにもう、寒くない。

 見覚えのない天井を見つめながら、クリスケはのろのろと目を瞬いた。
 そのまま何とか視線を少し動かすと、見覚えのある髪の色が、見えた。
 二人分。息が苦しいのは、その二人の腕に抱きしめられているからだ、と——やっと気がついて、暖かさが胸の中にもじわじわと広がっていく。
 思わず、安堵の息が漏れていた。
「……、……ノ コ …キノエ、さん……」
 頭の中で時計塔の鐘ががんがん鳴っているような気がする。そのうえ、舌も麻痺しているかのようで上手く動かない。それでも何とか声を出すと、さらにきつく抱きしめられた。二人掛かりの力に、流石に肺が悲鳴を上げている。
「ちょ…ちょっ と、二人とも、苦し…」
「——てめえええ……」
 低い低い声で唸り、ノコががばっと顔を上げる。
「この…馬鹿っ!心配かけやがってこの馬鹿っ!!どんだけ俺らが心配したと」
 怒鳴りだしたその声は、言葉の途中で鈍い音と共にぶちっと途切れた。

「馬鹿ね!クリスケの身体に響くでしょう、大声出すんじゃないの!」
 今の今まで、クリスケを潰しかねない勢いで抱きしめていたキノピオの女性が、同じくらいの大声を出して眉を吊り上げていた。
 石頭で有名なノコノコ族を一発でノックダウンさせた拳骨を腰に当てながら、彼女は若干冷や汗をかいて固まっているクリスケの方を振り返った。とたん、今までの表情が嘘だったかのように、その目が涙ぐんでいく。
「ああもう、やっと起きたわね…、随っ分、長いお寝坊だったじゃないの、クリスケ?」
「……ご、ごめんなさい…」
「ああ、違うのよ、そういうつもりで言ったんじゃないわ!…本当に、もう、みんな心配してたんだから……」
 言いながら、彼女は、クリスケのベッドに突っ伏して伸びたままだったノコをひょいと抱え起こした。ぱたぱたと頬を叩くと、呻き声をあげながらも、ノコが目を開いた。まだ若干ぐらぐらしているらしく、頭を振っている。
 正直、自分の頭痛もかなり痛かったのだが、彼女の、キノエの拳骨の痛さを思い出して、クリスケはこっそり身震いした。…あれは痛いのだ。本気で。
「ノコ、大丈夫…?」
「マジいてぇ……」
 その呟きが聞こえたのかどうだか、キノエはノコの背中を軽く小突いた。反射的に振り返ったノコに頷いてみせて、彼女自身は踵を返す。
「私、みんなにクリスケが気がついたって知らせてくるわ。あとはお願いね、ノコ」
「お願いって、ちょっ、俺…!?」
「一番適任なのは貴方よ、間違いなく」

 高い声で歌うように言うと、キノエはそのまま扉を開けて出て行ってしまった。ノコが困り果てたように溜息をつく。しょうがねぇなぁ、と呟いているのが聞こえた。
 ふと、クリスケは心の中で首を傾げた。…なんとなく、ノコが自分の知っている顔よりも大人びて見えるのは、ただの気のせいだろうか。表情が、少し違うのだ。
 疑問を口に出そうとすると、ノコがそれを手で遮った。
「悪ぃ、先に説明しなきゃいけねぇことが山ほどあるから、質問はちょっと待ってくれ。俺がパンクする。……ああもう、キノエのやつ…俺が国語の成績最悪なことぐらい知ってんだろうによお…」
 やつあたり気味に自分の顔をごしごしと擦って、ノコは顔をあげた。枕に頭を凭れたままのクリスケと視線が合いやすいように、わざわざベッドの脇に屈んで、口を開く。
「——あー、まず…率直に聞くけどよ、クリスケ、お前、どれくらい覚えてる?」
 静かな声だった。
 思わず息を詰めて、クリスケはノコの瞳を見つめた。
「覚えてるって……なにを、」
「気絶する前までのこと」
 がんがんと痛む頭は霧がかっていて、気絶する前のこと、と言われても、ピンと来なかった。
 それでも何とか記憶を手繰ろうと、クリスケは目を閉じた。
 いつもどおりの一日。チビっこ達がまた花瓶をぶち割ってしまって泣いていたこと。ノコやグリムや、とにかく総出で宥めたこと。代わりに怒られたこと。ご飯当番、買出し、商店街の匂いと、空が見える屋根の上と、
 空——

 そこまで思い出してからは一瞬だった。
 滞っていた川が、障害物が無くなった瞬間に一気に流れ出すのと同じように、遠くなっていた記憶が一気に頭の中に戻ってくる。
 さぁっと青ざめたクリスケの表情で、ノコもそれが分かったようだった。

「…悪ぃな、思い出させて」
 ぽつりと呟かれた声に、首を振るのが精いっぱいだった。不思議なくらい淡々と、ノコは言葉を続ける。
「俺とお前がはぐれる直前——そう、あの訳わかんねぇ雷が城ぶっ壊した時な? あの時、俺ら、人波に押されてはぐれただろ。俺、お前を探そうとしたんだけど、地面まで沈み出しやがるし、もう自分だけでいっぱいいっぱいでさ…。やっと探しに行けて、瓦礫の間にぶっ倒れてたお前を見つけるまでに3日掛った」
 覚えてるか、と目で問いかけられて、今度は頷く。けれど、それからすぐにクリスケは首を横に振った。
「城が砕けたところまでは…覚えてる。でも、それから…後のことは……」
「覚えてないか」
「…うん。全然」
 あの、城が崩れるのを見た瞬間から、記憶がふっつり途絶えている。自分が瓦礫の間に倒れていた、と聞いてもさっぱり現実感が無かった。何かに巻き込まれたり倒れそうになった記憶は少しも無いのだ。
「ま、覚えてねぇならそれはそれでいいや。キノエさんとかお医者の人はさ、3日も野ざらしで倒れてて無事な訳ないから、多分はぐれてからしばらくは意識があったんだ、俺が見つける直前に倒れたんじゃないかって言ってたんだけど…ま、どうでもいいな、それは。……で、だ」
 ふいと言葉を切ると、ノコは視線を少し斜め下に外した。
「今な、あの日から一ヶ月ちょい経ってるんだ」
 しばらくの沈黙の後に告げられた言葉が、すぐには消化出来なかった。
 少しの間瞬きを繰り返してから、——クリスケは跳ね起きた。
「一か月!?」
 跳ね起きた瞬間、酷い頭痛と一緒に世界がぐらりと傾いだ。
 そのまま、またベッドにぱたりと倒れてしまったクリスケを見て、ノコが呟く。
「…ま、やっぱそうなるよなあ」
「ノコ……」
「ん?」
「い、…一か月って、言った?今」
「言った」
 あっさりと、肯定を返される。

「…そんなに……」

 それ以上、言葉が出なかった。
 しんと静まり返った部屋に、ぱたぱたと遠くで人の駆けあう足音が響く。他にも入院している人が数多くいるのか、その足音はどれも忙しげだった。
 沈黙に耐えかねたらしいノコが、尖った髪をがしがしと掻きながら、あーだのうーだの、言葉にならない声を繰り返した。困った時のいつもの癖だ。…言葉が見つからないのはこちらも同じらしい。

 最初の衝撃が去ってからも、やっぱりまだ実感はちっとも湧かなかったが——
 何とかその事実を呑み込みながら、クリスケはノコを見上げた。
 ……じゃあ、その間、ノコは崩れ果てたアリウスで何をしていたんだろう。
 何を考えていたんだろう。
 今、何を思って、一か月目を覚まさなかった(らしい)自分の隣にいるんだろう?

「あの、さ。…ふたつだけ質問、いい?」
 だから、クリスケは先に口を開いた。
 ノコがどこかほっとしたように頷くのを確認してから、問いかける。
「みんなは…」
「あ、ああ、皆なら無事だ、というか全員無事だ! あの時、俺ら二人以外のほとんどが家に集まってたから、はぐれずになんとかなったんだってさ。っていうかそうだよな、そういう明るいニュースから先に言えば良かったんだよなぁ、俺…」
 ぱっと表情を輝かせたノコに、思わずクリスケもくすりと笑顔を零した。
「…よかった。安心した」
「ん? ああ、そうだよな、一か月とか言われてそっちも焦ったよな、やっぱり。心配ないぜ、最初はそりゃぁ怪我してる奴もいて大変だったけどさ、もうみんな元気だ。言っとくけどな、復帰、お前が一番ビリだぞ」
 家の兄弟たちのこの一か月の様子を逐一報告するノコの声を聞きながら、クリスケはふっと瞼を下した。包み込むようにやってきた眠気の向こうで、何だか大量の足音と慌てて制止するような声が聞こえたような気がしたけれど、すぐに、聞こえなくなった。






「——馬っ鹿!面会シャザツだ!面会シャザツ!」
「……面会謝絶?」
「ちょっと黙ってろグリム。俺のプライドが台無しになる」
「はーいはい…」
「ずるいずるいずるいノコ兄ちゃんだけずりぃよ馬鹿ぁ!俺らだってクリスケ兄ちゃんが起きたって聞いてすっとんできたのに!!」
「しょうがねぇだろ、またぱったり寝ちゃったんだからさ!まだ本調子じゃないんだろ、頼むからキンキン大声出すなって…」
「あ、キノエさんだ」
「え」
「嘘だよ」
「…チビ達全員逃げたぞ」
「静かになったでしょ?」
「まあな……」

「あ」
「どうかした?」
「クリスケのやつ、質問ふたつあるって言ってたくせに、一個目の途中で寝ちゃったんだよな」
「起きてからゆっくり教えてあげればいいじゃない。この一か月で、僕らの街がどうなったかなんて、ひとつの質問じゃとても答えられないんだから」
「…そうだな」


「………心配したんだからな」
「うん」
「本当の本当に、心配したんだからな」
「知ってるよ」
「なのにこいつ、そう言うと絶対なんか泣きそうな顔するだろ」
「そうだね。昔から」
「ごめんなさいって顔にデカデカ書いてあるような顔すんだよ。兄弟に心配ぐらいさせろよこの大馬鹿野郎」
「そうだね。…頑張ったね、ノコ」
「…………」








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 ふっと目を開けると、真っ暗だった。
 一瞬、思わず止まった息が、視界の端にろうそくの灯が小さく灯っているのを見つけたとたん、安堵のため息に変わる。
 そろそろと身体を起こしてみても、もう、酷い頭痛や眩暈に襲われることはなかった。ベッドから降りて、立ってみる。まだ少しふらふらするけれど、大丈夫だ。歩ける。
 行ける——

「クリスケ?」

 ぱちん、とシャボン玉が割れたような気がした。
 扉が開いて、一気に差し込んできた光の筋に照らされて、クリスケは初めて自分がベッドから起き上がっていたことに気づいた。ベッドと扉とを交互に見比べて、思わず首を傾げてしまう。
「あ、…あれ?」
「あれ、って…。そんなに人の顔見て首傾げないでちょうだい。何?夢でも見てたの?」
「オイラもよく分かんな……って、キノエさん、それ!!」
 夢から覚め損なったようなよく分からない違和感は、こくりと首をかしげたキノエが、ふわふわと湯気の立つスープを持っているのを見たとたんに吹っ飛んだ。
「おなか空いてるんじゃないかなーって思って作ってみたの。どう?食べられそう?」
 返事をするよりも、おなかがぐぅっと音を立てる方が早かった。いつの間にか手に持っていたろうそく皿を元に戻すと、壁やベッドの支柱にところどころを支えてもらいながら、ぱたぱたと歩きだす。一か月眠っていた割には、体はそこまで弱っていないようだった。

「……もう歩いて平気なの?ベッドで食べる方がいいかと思ったんだけど…」
「何かに掴まってれば平気だよ。…それに、早くみんなにも会いたいし……」
「クリスケ…。多分、そうそうごはん食べてられない状況になるわよ、それ。いいのね?」
「うん。いい」
 苦笑して、キノエが片手を差し出した。その手に掴まりながら、クリスケは、ふと、後ろを振り返った。

 気付かない間に起き上がって、ろうそく皿まで持って、自分は一体何処へ行くつもりだったんだろう?






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