無音、
そして無風。
命の気配そのものが、全く感じられない闇色の世界。
影に呑み込まれた空はもう、その彼方から贈られる光を、世界へ届けることが出来なくなっていた。闇の向こうにぼんやりと見える太陽は、今は月よりも暗く沈み、何処よりも暗い世界にも関わらず、星粒に至っては、ひとつの光も見つけられない。ぼんやりと飛び交う青黒い炎だけが、その世界で唯一光と呼べるものだった。
地上の草木は、日光を失ったことでほとんど枯れ果て、葉を全て落とした枯れ木だけが、置き忘れられたようにぽつりぽつりと大地に立っている。
「この世界も、終わったか……」
静かな世界を、小さな呟きが震わせた。
もうひとつ——大地に残されていた、崩れた街道、石畳、そして街。家。かつて其処に住んでいた人々の痕跡。闇の中に沈んだそれらは、もうその場所に住む者が誰もいないことを示すように、ひび割れ、朽ちて、大地へと還ってゆこうとしていた。その崩れた街道を辿り、全ての街道が交わる場所で視線を上げると、そこには、ひとつの宮殿が建っている。
闇と、薔薇の赤で装飾された、美しくも不気味な闇色の宮殿。
この世界で唯一朽ちていないその城の、最上階——そこには、まるで世界を見下ろすように、大きな窓がはめ込まれている。
そして、その窓の向こうに、彼女は静かに立っていた。
「カゲの女王様」
桃色の長い髪が、風の無い世界にゆらりと揺れる。豪華な装飾の施された窓枠を、すう、と指先で撫でながら、影の女王は部屋の隅を振り返った。年月に晒されてもなお、赤の色彩を保つ絨毯の上に、じわりと影が広がる。その中から現れた初老の女性が、腰を屈めて礼をした。
「…マジョリンか。少し久しいかの……もう全て終わったのだな?」
「はい——世界の影という影を渡り歩いてきましたが、もう生きている者は誰もいません。おめでとうございます、女王様」
しわがれた声で寄せられた祝福に、影の女王の表情が変わることは無かった。無表情のまま窓の外を見やり、そのまま視線を手元へと移していく。
「ふむ……。今回は少しばかり事を急ぎすぎたかもしれんな……」
面倒くさそうに女王が吹きかけた溜息に、彼女の指先から微かに埃が舞い上がる。やがて浮力を失い、静かに落ちていくそれを無言で眺めていた女王は、ふと、その口の端を持ち上げた。
「滅びた世界に、もはや用は無い」
何の温度も無い言葉が、落とされる。その言葉を予想していたマジョリンもまた、低い笑みを浮かべた。もう何度、この言葉を聴いたことだろう。
「…いつものように?」
短く問いかけると、影の女王は口元に長い指をあてがって、思案するかのように言葉を選び始めた。
「そうじゃの、…次はもう少し時間をかけて、じっくりと滅ぼすことにしよう。さっさと滅ぼしてしまうのも——やっている間は良いが、その後がとてもつまらぬ」
言いながら、影の女王は笑う。至極どうでもよいことを言わせるような、退屈そうな表情で。
彼女がもう、世界を滅ぼすことにいちいち無駄な思考を注がないということは、恐らくマジョリンが一番よく知っていた。その口が紡ぐ言葉が、ほとんどは単なる気まぐれな思いつきだということも。
「ヒッヒッヒィ……それは良いお考えで……」
だからこそ、マジョリンもまた、肩をすくめて笑いを返した。お互いに、お互いの言葉の裏の感情を見透かしながら。
ひきつれた二人分の笑い声が絡み合い、反響する。その響きが消えるのを待たずに、影の女王とマジョリンは、自らの影の中へ沈み、消えた。
笑い声の余韻が、誰もいなくなった部屋に、静かに降り積もっていく。
そう、もう、理由など其処に存在しないのだ。
ただ、呼吸をするのに似たような、当たり前となってしまった、存在理由。
影の女王が、その世界に残した最後の言葉が、置き去りになった宮殿に木霊した。
「往こうぞ、次の世界へ」
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亡くなった、世界。
それが、闇の世界と呼ばれる場所のもうひとつの呼び名。
影の女王、そう呼ばれ畏怖される魔物が降り立った世界が、いずれは至らざるを得ない、終末の運命。
世界を滅ぼすのに、洪水などいらないのだ。
ただ、光というぬくもりを奪ってしまえば、光と影の均衡を崩してしまえば、世界は滅びずにはいられない。
大地から緑は絶え命は絶え、水は雲に還る事が出来ず、雨のないまま川も枯れる。
やがては海も、魚も、そして、
全てが。
全てを滅ぼす為に存在するかの女王は、世界を渡り歩いてゆく。
そして次に彼女が降り立つことになるのが——そう、あの光の世界。幸せの街。
その世界もまた、何も知らない全ての者が、ただ平和に暮らしていたのに。
『————
……』
『……ごめんね…………』
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