広場を包んでいた蒼い光が、少しずつ薄れ、闇に戻っていく。その中で、小さな光がひとつ、ぼんやりと残った。
 夜空に浮かぶ星を、そのまま硝子に変えたかのように、そのペンダントはクリスケの手のひらの中で薄っすらと発光していた。ひんやりと冷たい感触が伝わってくる。手を傾けると、星の形が、ぎこちなく転がった。
 どこから出てきたのだろうとか、カーレッジはどこへ行ったのだろうとか、そういうことを考える前に、思わずしげしげと見つめてしまう。
「……蛍みたいだ」
『よかった、上手くいったようだ』
「うわあっ!?」
 ふいに、誰かに肩を触られて、クリスケは飛び上がった。反射的に振り返る。けれど、そこに誰もいない暗闇しか広がっていなかった。呆気に取られて周りを見回すと、どこからか、少し申し訳なさそうな苦笑交じりの声が聞こえてきた。
『……すまない、そこまで驚かせるつもりはなかったんだが』
「え…あ、あれ? その声…カーレッジ? もしかして今の」
『ああ、私だ』
 頷くような気配。
 改めて、くるりと視線を廻らせて——声の届くような範囲に誰もいないことをもう一度確かめて、クリスケは視線をペンダントに落とした。昔どこかで、ペンダントに宿る魔人のお伽噺を聞いたことがある。まさか、と思いながら、クリスケはおずおずと口を開いた。
「この中にいる、ってこと?」
 噴水に宿っていた、というのなら、在り得るんじゃないだろうか。
 けれど、そんなクリスケの問いかけを、カーレッジはあっさりと否定した。
『流石にそんな小さなものに留まるのは無理だ。正確には……そのペンダントは、私がこちらの世界に留まっているために、必要なものだ』
 改めて、クリスケは手のひらの中を見つめた。微かな、木漏れ日のような光が、星の中で揺れている。留まっているために必要、ということは、これが無くなったらカーレッジはものすごく困るのだろう。そこまで考えて、クリスケはそっと手を丸めた。
「……じゃあ、今、どこにいるの? 声は聞こえるけど……見えなくなっただけ?」
 首を傾げると、くすり、と笑う声がした。
『傍にいる。……片手を出してくれるか』
 促されるまま、ペンダントを握っていない手を虚空に向けて差し出す。と、手のひらに微かな重みと、少し冷たい人肌のぬくもりが触れた。目を見開くクリスケの前で、勝手に、手が少しだけ傾いた。何も見えないのに、手に伝わってくる感触は実際に誰かと握手をしている時のものと少しも変わらない。すごい、と、思わず呟きが漏れていた。
「ゆ、夢じゃないよね」
『正直、夢だった方がありがたいな』
「……あ。そうだった」
 微かに沈んだカーレッジの声に、クリスケは我に返った。
「地上、に行けばいいんだよね。そうすればアリウスは……」
 先ほどまでの会話をなぞると、カーレッジが頷いたような気配が伝わってきた。
『私に出来ることはそれくらいだ。地上へ出れば、僅かだが、私には女王を妨害することが出来る。地上にさえ辿り着ければ……。すまないが、そこまで、頼む』

 少しの間、言葉を切って、クリスケは空があるはずの場所を見上げた。真っ暗闇の、星が出ていない夜空のようでも、そこにあるのは、硬い岩盤だ。女王が魔法をかけて、蓋をしてしまったのだと、グリムが苦々しそうに呟いていた。
 息をひとつ吸って、クリスケは答えた。
「分かった。どうやって行けばいいか、教えて」
『ああ。少し説明が難しいんだが—— 大雑把に言ってしまえば、“抜け道”があるんだ』
「抜け道?」
 鸚鵡返しに首を傾げる。大雑把に言ってしまえばだが、ともう一度前置きして、癖になっているのだろう、地図を辿るような正確さで、カーレッジは淡々と言葉を並べていった。
『アリウスの街をそのまま行くのは、危険すぎる。城に近づきすぎれば女王が何か仕掛けてくる可能性があるし、かといって城を迂回して街の郊外へ向かうほど、道の損傷が激しくてまともに進めなくなる。恐らく、もう、徒歩ではアリウスから出る道は残っていないだろう』
「え、ええ、じゃあどうすれば」
『——……』
 ふっ、と、一瞬だけ言葉を途切れさせて、カーレッジは続けた。
『女王が来る前に、街で、城仕えの魔法使いを見かけたことがあるか?』
「ああ、それだったらあるよ。よく、石畳が浮き上がったり沈んだりするように、魔法で工事してたから」
『それなら話は早い。“抜け道”は、そういう魔法使いたちがかつて王家に命じられて創った、転送魔法陣のことだ』
「…………もうちょっと分かりやすく」
『……一言で言えば、特定の場所へ行けば、一瞬で離れた別の場所へ移動出来る魔法、だな』
 小さく呻き声をあげると、クリスケはくらくらし始めた頭を抱えて溜息をついた。
「オイラ魔法の仕組みはさっぱりなんだよね……。えーと……とりあえずそこへ行けば、地上にも行ける?」
『ああ、そのとおりだ。街の中にいくつか点在して隠されているはずだが、ここから一番近い場所は——』





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 夢の中で、何かがかたんっと落ちる音が聞こえて、ノコは目を開いた。
 ぼうっとした頭で、暗闇の中をのろのろ見回す、と、廊下に繋がる戸口の前で、慌てた様子で何かを拾い上げているキノエとばっちり目が合ってしまった。申し訳なさそうに、キノエが苦笑する。
「ごめん、起こしちゃったわね」
「…いや、別にいいけど…… まだ起きてたのかよ?」
「ちょっと奥で縫物してたら、さっきまでうたたねしちゃってたのよ。今起きたところ。これから寝なおすわ」
「ああそう……あんまり無理しない方がいいぜー」
 欠伸混じりに言うと、「生意気言ってんじゃないわよ」と見事に叩き切られてしまった。けれど、何処か嬉しそうに手を振っていたから、まあ、そんな本気では怒ってないんだろう。よかったよかった。
 ゆらゆらと消えていく蝋燭を見送って、そんなことを思いながら、ノコは目を閉じた。明日は明日でまた忙しいだろうから、ちゃんと寝ておかないと。家の前の瓦礫もどうにかしないといけないし、食べ物だっていつまでもつか……
「………」
 しばらく寝返りを打ってから、溜息をひとつついて、ノコは身体を起こした。中途半端に起きてしまったせいで、どうにも眠気が戻ってこない。いや、正確には、眠いのだけど、何故だか眠れない。
「……水でも飲んでくるか」
 同じ部屋で寝ている兄弟たちを起こさないように気をつけながら、そっと床に足を降ろし、サンダルを突っかける。幸か不幸か、大抵の兄弟は疲れがたまって爆睡しているはずだから、多分大丈夫だろう。


 木のコップを片付けて、控え目な足音と共に部屋へ戻る途中。クリスケが寝ている部屋の横を通り過ぎる時、ふと、ノコは視線を部屋の中へ向けた。扉をつくる材料なんて余っているはずがないから、石組みの入口から覗けば、部屋の中はよく見通せて——

「………クリスケ?」

 ろうそくの灯りに浮かび上がった部屋の中。兄弟たちが眠っている、いくつも並ぶ寝台のうち、ひとつが空になっている。そこは、いつも、クリスケが寝ている場所じゃなかったか。反射的に、ノコは部屋の中へ駆け込んでいた。
 どうか誰も目を覚まさないようにと願いながら、視線を走らせ、一人一人を確かめていく。
「………っ」
 いない。
 今日、一人で街へ出るなと良い含めた時、訝しそうにしていたクリスケの顔を思い浮かべて、ノコは唇を噛んだ。嫌な予感が止まらない。でも、まさか、そこまで無茶をする理由がどこにある? 随分元気になったとはいえ、まだ病み上がりのはずだ。
 踵を返すと、ノコは、足音だけは荒げないように注意しながら、隣の部屋へ飛び込んだ。その隣の部屋にも、居間にも、台所にも、年頃の女子が固まって寝ている部屋は流石にパスしたが、どの部屋にもクリスケの姿は見つからない。こんな小さな家、探して見つからないような場所なんてどこにもないのに——
「あの馬鹿……」
 低い声で呻き、ノコはキノエが眠っている部屋を振り返った。起こそうと、前に出しかけた足を、途中でひっこめる。
 ……ただでさえ疲れているだろうに、これ以上心配をかけてどうする?

 壁に掛っていたランタンを引っ掴むと、火を灯すのもそこそこに、ノコは外へ駆けだした。






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『その左の横道に入ってくれ。それから、この通りを直進して、突きあたりを左に……』

 迷いのないカーレッジの声に導かれて、クリスケは歩を進めていた。埃っぽくなってきた汗を、片手で拭って、息をつく。左手を、ざらざらした石造りの壁から離すことは出来なかった。細い路地ばかり選んで通ってきたおかげで、今、自分がアリウスの何処にいるのかさっぱり分からない。目隠ししたままで迷路を彷徨っているようなものだ。
「(……せめてもうちょっと明るかったら)」
 ふと思いついて、服の中へ落としていたペンダントを引っ張りだすと、辺りがほんの少しだけ、薄蒼く浮かび上がった。視線を廻らせるより早く、カーレッジに小さくたしなめられる。クリスケは慌ててペンダントを元の位置に戻した。
『不便だとは思うが、念には念を入れておいた方がいい』
「了解……」
 そもそも、今のアリウスがどれくらい危険かということさえ、自分はまだ知らないのだ。街へ出るな、ときつい声で繰り返していたノコの顔を思い返して、クリスケは少しだけ溜息をついた。——せめて昼間だったら、岩盤の間から差し込んでくる光で、この地下もほんの少しだけ明るくなるのに——なんて、どうしようもないことを、つい考えてしまう。
『クリスケ』
 ふいに、名前を呼ばれて、クリスケは我に返った。
「なに?」
『そこだ。そこの、家と家の間の石垣を、右に捻りながら引っ張ってみてくれ。下から7つめ、左から7つめの場所だ』
 言われるままに視線を向けると、崩れかけた家と家の間に、何故かほとんど壊れていない石組があった。上の方はいくつか石が落ちているが、それ以外の石は傾いてもいない。それなのに、カーレッジが示した場所の石だけが、何故か、本当に少しだけ出っ張っていた。
 指をかけてから、ふと、クリスケは首を傾げた。
「…あのさ、これ、引っ張ったら——動いたらだけど、石組、壊れない?」
『壊れるな』
「壊れるんだ……」
 脳裏に、がらがらがっしゃん、という派手な音が自動再生されて、クリスケは若干冷や汗をかいた。それって、何というか、すごくまずいんじゃないだろうか。ペンダントの光がむきだしになることの、十倍くらいは。
『それも魔法で組み上げているものだから、心配はいらない。壊れる、といっても、魔法が役目を終えるだけだ』
 クリスケが考えていることに思い当ったのだろう。カーレッジの言葉に、ようやっとクリスケは頷くと、石をつかみ、思い切り重心を後ろに掛けた。何度か失敗したものの、ふいに、すっ、と手ごたえがなくなった。
「う、わっ…、……!?」
 思わず後ろに倒れかける。体勢を立て直そうとした身体が、目の前の光景に気を取られて、タイミングを逃した。鈍い音を立てて、背後の壁に肩がぶつかる。それでも、クリスケは視線を外すことが出来なかった。
 崩れると思った石垣が、宙に浮いたまま、動きを止めている。そして、地面に落ちかけたかと思う間もなく、細かく割れて砂になって、音もなく静かに降り積もり始めた。
 さらさらと積みあがって行く砂の山の、石垣があった場所の向こうに、ぽっかりと、地下へ降りる階段が口を開けている。
「…………」
『…大丈夫か?』
「肩、打った……」
 今更ながら、忘れていた痛みがゆっくりと戻ってきた。呆気に取られたままでぼんやり呟くと、クリスケは頭を振った。
「行かないと」
 先の見えない階段の先を、覗きこむ。クリスケの栗色の髪が、微かに揺れた。風が流れている。間違いなく、何処かへ通じているのだ。
 ペンダントに手をかけると、カーレッジが頷いた。
『この先は、王家にしか伝わっていない隠された抜け道だ。見張っているものもないだろう。外へ明かりがこぼれない所まで行けば』
「大丈夫、ってことだね。さすがに、こんな真っ暗な階段、明かり無しで降りるなんて無謀すぎるよ」
 手すりもないまま、急な角度で続いている階段に、少しだけ背筋が寒くなる。軽い口調で言葉を並べながら—— 一瞬だけ、クリスケは後ろを振り返った。真っ暗で、闇に慣れた目でも、輪郭くらいしか見えない、アリウスの街——
「……あれ?」
 ふと、頭上で揺れている壊れかけの看板が目に入った。首を傾げる。そのままじっと見つめるうち、その形に見覚えがありすぎることに気づいて——思わず、笑いがこぼれた。
「カーレッジ、あのさ」
『どうした?』
「裏路地ばっかり通ってきたから気付かなかったけど、ここ、多分、オイラの家のものすごく近所だよ」




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