ーー四人の勇者の物語 6ーー
もう、すっかり夜の帳が下りた森の道に、間隔の広い足音が時々途切れながら響いていた。
森の木々に遮られてしまい、月明かりは微かにしか地面を照らしてくれない。
アリウス側よりも森の奥にあたるこちらの方が、木々の葉の勢いが盛んな為だ。
「…はー……」
クリスケの、疲れきったため息が一つ、彼の足音に重なった。
もうかれこれニ時間近く、細かい休憩を挟みながらとはいえ歩いている。
それにも関わらず、肝心の村は気配さえも感じられなかった。
せめて足元が見えたらもう少し楽なのに、と荒い息で歩みを進めながら、月光を邪魔している木々を恨めしげに見上げる。
「……うー……この道で…あってくれてると良いんだけど……違ってたらオイラ達もう駄目かも…」
『…最悪の場合でも、森の中ならばまだ希望があるだろう。
文献で見た限りでは…だが、この森の広さなら何日も彷徨うという羽目には』
「…だとしても…やっぱり…森より人のいる所の方が良いなぁ……。
キノールも…、そんなに凄い怪我はしてないけど…っ、ちゃんと手当てしないといけない、だろうし…」
ちら、と肩越しに視線を走らせながら、クリスケは顔を曇らせた。
その背に何とか背負っているキノールは、未だに目を覚ましそうな気配が無かった。…よほど限界だったのだろう。
…オイラが頑張らなきゃ、と声に出さずに呟き、視線を前に戻して足を出す。
「見つからなかったら…っ、まだ…森の中でもマシな所…探すしかないけど……」
『そうだな………いや、だが…この道は森の中にしては道幅が広い。おそらくは…村に通じている…、……事を願うしかないな。せめて来た時の足跡が確認出来ればまだ良かったんだが…』
言葉の最後を濁したカーレッジに、ほんとにね、と相づちを返しながらクリスケは息をついた。
はっきりとした手がかりは何もない。今頼れるのは自分の幸運だけだ。
…そこまで考えて、流石に無茶だっただろうか、と少しだけ後ろめたくなる。
「……朝まで待った方が…やっぱり良かったかなぁ…すぐ見つけられるかと……思っ……た、のにー……;」
『………………。……クリスケ』
「…ふぇ?」
それまで普通に会話を返していたカーレッジが、ふいにそれを堅い声で遮った。
きょと、と誰もいない場所にクリスケが首を傾げる。
「……何?」
『さっきから言おうと思っていたが…もう、体力も限界に近いのだろう?あまり話さない方が……』
「あー、まだ大丈夫だよ。多分……というか…逆に、話してないと、気力…持たない…;」
明らかに“大丈夫”ではない返事の内容に、カーレッジが溜息をつく。
自分の中の頭で響くそれに、さすがに無視出来なかったクリスケが、眉を寄せながらのろのろと顔を上げた。
「…だから、大丈…っ」
『…クリスケ、そろそろ休憩を挟んだ方が良い。まだ見つかるか分からないのだから、頼むから無理はしないでくれ』
「—— …うー……、……分かった」
少しだけ抗議の声を上げたものの、確かにそれは正論なので、クリスケは足を止めた。
周りを見回して、闇の中でもまだ平らだと分かる所へ、そろそろとキノールを降ろしにかかる。
……ばき
「…げ」
その時、乾いた小さな音が、静寂を破って闇に響いた。
目は頼りにならないので手を動かしてみると、指先に何か——おそらく折れた枝先——が触れたのが伝わってきた。急いでその枝を指で辿ってみると、程なくして枝の終わりと同時にキノールの腕にぶつかる。……つまり、
「…っうわ、キノールごめん……!枝刺さっちゃったというか切っちゃった…!?
うぁー…ここでまた傷増やさせてどうするんだよオイラはぁーっ……!;」
『…そこで自分を責めても仕方ないだろう?;
この闇の中だったのだから……良かった、出血はしていないようだな。尖っていない枝で助かった』
「……解ってはいるけどー…っ……あー……後で謝らせてもらわなきゃ…」
ずーん、と暗い空気を纏いながら、クリスケはキノールの隣に腰を降ろした。
一度、体の後ろに手をついて空を仰ぎ、疲れを外へ出すように思い切り息を吐き出す。ため息は幸せが逃げるだとか、正直そういう事を言ってたら体力の方が先に逃げてしまいそうだ。
そして、少し考えた後、そのまま地面に仰向けになって空を見上げる。
「もうどっちにしろ、服汚れまくってるしね…」
少し苦笑しながら、深呼吸を繰り返す。
沈黙が闇を支配して、耳に聴こえるのは森の音ばかりだ。本当にこのまま野宿になるのでは無いかとちらりと不安が胸をよぎる。
少しの間の後、ふっ、と一度目を閉じて、開いて、クリスケは静寂を破った。
「………ねえ、カーレッジー…」
『何だ?』
「……どうしてオイラの所に来たの?」
『…は?』
今までの会話とは明らかに方向性の違う質問に、カーレッジが虚を突かれたような声を返す。
とっさの反応に詰まったのか、やや置いてようやくまともな返事が返ってきた。
『……、…また…随分と唐突だな』
「う、だって……。…何か話してないと、なんかこのまま寝ちゃいそうな気がするからー…;
ちょっとね、聞いておきたいなって思っただけ」
苦笑しながら、言葉を紡ぐ。…半分は本音だ。だけど、残りの半分は正直に言えば誤魔化しだった。
気を紛らわせる為の戯言などではない。口をついて出たのは、ずっと胸に引っ掛かっていたこと。
直接問いかけるのは何となくはばかられて、今の今まで胸にしまっていた言葉で。
『…最初に逢った時に言っただろう?お前は——』
「ううん、違くて、そうじゃなくて……! 理由は、逢った時に教えてもらったんだからちゃんと解ってるよ。
そうじゃなくて、……何でカーレッジはそれ信じてオイラの所来たのかなーって…」
理由は解っている。…でも、それは本当に非現実的なもので。
旅が少しずつ現実味を増してくるにつれて、課せられた使命が夢のように思えてきてしまう。
あまりに強大過ぎる敵に対して、本当に、自分は小さすぎるから。
「だって…、オイラは唯のクリボーで、まだ子供で、全然強くも何ともないし…。
…キノールの力にも、ほとんど…なれなかったし。オイラよりもずっと、勇者探すの上手な人が沢山いると思うんだけどなーって、思って……。
こうやって、キノールの事運んであげるくらいしか出来ないんだなぁ、って思って、ちょっとね…森の中歩きながら、考えてて…」
…落ち込んでます。
言葉の裏から猛烈に訴えられるそれに、カーレッジはどうしたものかとため息をついた。もちろん、クリスケにさえも聴こえないように、本当に小さく。
考えてみれば当たり前なのだ、いきなりこんな事態に巻き込まれて弱音の一つも吐かない方がおかしい。身体の疲労に呼応して、心の披露も随分増しているのだろう。
…しかし、だからと言って、予想出来たということと、それに気の利いた答えを用意出来るかは別のことだ。
カーレッジが色々と思考しながら言葉を選んでいる間、沈黙は容赦なく訪れる。クリスケは不安げに視線を彷徨わせて、そっと頭上へと目をやった。…せめて星がちゃんと見えたら、まだこの不安も紛らわせられるだろうに、
『まだ……』
「…え?」
ふいに静寂を破った声に、クリスケは深みに嵌りつつあった思考を止めた。
瞬きを繰り返して言葉の続きを待っていると、まだ少し迷っているような気配が伝わってきた。しかし、やがてゆっくりとカーレッジが言葉を紡ぎ出す。
『上手くは言えないんだが……まだ、始まったばかりなんだ。自分の大きさを決め付けるには早すぎるだろう? 最初から全て上手く出来る者がいるはずはない。…それから、質問に答えるが…信じる信じないの問題じゃない。女王に立ち向かえるのは——いや、この世界の運命を、女王に打ち勝つ未来に導く事が出来るのは、お前しかいないと私は“知っている”んだ。
今はまだ上手くいかないかもしれないが…今だけのことだ。…落ち込むだけ体力の無駄だぞ。…だから、』
( 大丈夫 )
静かな風が吹いて、ざわざわと、木立が揺れた。
伏せ気味だったクリスケの目が少しだけ丸くなって、目の前の誰もいない、真っ暗な空を見つめる。結論が言えていない、不器用な言葉を胸の中で何度か反芻して、こくり、と首を傾げた。
「…ほんとに?」
『………何度言わせる気だ?』
「…うっ、あ、うん、分かった! もうすっごい分かった!;
そうだよね、まだ最初の最初だもんね、……次からはもうちょっとちゃんと出来たら良いなー」
絶妙に低くなったカーレッジの声音に、慌ててぶんぶんと手を振りながらクリスケは笑みを零した。照れ隠しと安堵がごちゃ交ぜになったような、側からみたら不思議な笑顔だったが。
やがてそれも落ち着いてきて、宙を切っていた手がぱたりと地面に落ちた。仰向けの姿勢を変えないまま、クリスケがふっと瞼を降ろす。
『……クリスケ? …待て、さすがにここで寝るのは……』
そのまま、一呼吸、ニ呼吸置いてもその瞼が開かないので、さすがに訝ったらしいカーレッジが声をかけた。
うっすらと目を開けて、クリスケは苦笑して首を振る。
「ううん、大丈夫、起きてるよ。ちょっと目閉じて休むだけ。さすがにすぐはキノール運べそうもないし……。
もし寝ちゃったら、起こしてもらっても良い?」
分かった、の返事を聞いて、クリスケは再び目を閉じた。
視界を遮断した方が、目が開放されるので疲労は少し楽になる。…のだが、さすがにこの状態で何もしていなかったら睡魔に襲われかねないので、耳に神経を集中してみた。
とはいえ、聞こえるのは、森のざわざわという葉ずれの音か、風が木の枝の隙間を通る音ばかり。
これじゃあ寝ちゃうかもなぁ、とぼんやり思った。その上、カーレッジの言葉で気が抜けたからなのか、体の痛みがまた少し戻ってきてしまって少々辛い。
またざわざわと葉ずれの音、紛れるように微かな虫の声、もう少し耳を澄ませてみると、風に紛れてキノールの寝息が聞こえた。そして、それから、
「……え?」
ふいに、クリスケが肘をついて体を起こし、辺りを見回した。
暗くて視界の効かない森をじっと見つめて、耳の後ろに手を当てながら怪訝そうに首を傾げる。
「……カーレッジ、今オイラのこと呼んだりしてないよね?」
『…いや、呼んでいない。……何か聞こえたのか?』
同じく訝しげな声音の問い返しに、うーん、と唸ってクリスケがまた首を傾げる。
「…何か聞こえたような気がしたんだ、けど…気のせいだったのかなあ…。
なんか、こう…誰かを呼ぶような、そんな声」
『……呼び声?』
「うん、そう。でも、何ていうか、こう……変…というか、あー、何て言えば良いのかな…。
呼ばれた、気はするんだけど、声が聞こえた気もするんだけど、聞こえてきた方向が良く分からなくて曖昧で……。…もしかしたら唯の空耳だったのかも。オイラ今、だいぶ疲れてるし……」
眉を寄せながら、それでもまだどこか疑いきれないのか、クリスケは立ち上がった。冷たい木の幹に片手を触れて、体重を預けながら、精一杯の視界を見渡す。耳にも同じように神経を集中させてみたが、やはりもう何も聞こえない。
「うー…空耳確定っぽい…。もしかしたら人かなって思ったのにー…」
『…まあ、確かにこんな夜中に、森の中に人がいる訳はないだろうしな…。せいぜいいるとしたら、動物の類か…』
「……類か?」
『…私のある意味での仲間だろう』
ある意味での仲間、イコール、幽———
…そこまで考えて、クリスケの顔からさーっと血の気が引いた。
次の瞬間には、その予想を吹き飛ばすように慌てて笑ってみせたものの、明らかにその表情が引きつっている。
「ま、ままままさかあ……!; そんなのいるわけないって、いないいないいな—— ……うん、い、いたら困るよ本当に……。オイラゆーれいとどうやって闘ったら良いのかなんて分かんないし……。
カーレッジ…王族の人もそういうの知ってるんだねー…」
『ああ、…まあいないだろうとは思うが…ここまで奇異な経験をするとさすがにな……』
「…そだね、なんかもう伝説とかもみんな本当の気がしてくるもん…; 女王がこの一ヶ月何してたのかは良く知らないけど…少なくともあの初めの日だけでも凄かったし…カーレッジ以外にも、もう一人や二人いても…おかしくないよねー…」
力なく笑って、クリスケは木の幹に寄りかかりながらずるずると腰を降ろした。
一度休んだら動けるようになるかと思ったのに、逆に体の重みは増してしまったような気がする。とてもじゃないが、ここからまたキノールを背負って夜の森を彷徨うなんて出来そうにない。というか、どうやって出来ていたのかが思い出せない。
もう今日はここで野宿で良いかなー、と半ばなげやりにクリスケはため息を吐き出した。
——ー……
————ルー……
「…あー、また…」
『…さっきと同じ声か?』
耳を軽く押さえたクリスケに、カーレッジが声をかける。手を離さないままで、クリスケは首を横に振った。
「…わかんない。声がした、ってそんな気がするだけで…空耳…というか、もう、これ…幻聴?;
うー…、…ごめん、カーレッジ、やっぱり今日はもう野宿にする…キノールには凄く悪いんだけど、ちょっと、もう……」
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