その日は、恐ろしくなるほどに空が美しい日だった。
こんなにも美しい青に続く場所に、真っ暗闇の宇宙が口を開けているのだと、小さな蒼い双眼鏡を抱いて、顔の上に手のひらで影を落としながら、彼女は考える。
初夏を絵に描いたような青い青い空が、目に痛かった。
「先生、こんなところにいらっしゃったんですか?」
ふと、彼女が空から目を離して振り返る。
その視線の先には、ぱたぱたと草原を駆けて来る、若いオレアナの姿があった。緑の海原を、まるで飛魚のように、背から伸びる青く長い鰭をそよがせて、やってくる。
「そっちこそどうしたのだ、ナオ? てっきり展望台に行ってると思ったのに」
「いや、行きましたけど…無理ですよ、無理無理。人が多すぎて窒息しそうになりましたし。
でも…私はともかく先生は、特別な席が設けられてましたよね?
パスカル君、今もう、あの中にいるんでしょう?」
彼女の隣に並んだオレアナが、草原に生えた一本の若木のような、小さなシャトルへ目を向けた。遥か上空、宇宙に待機しているメタモアークへ向けて飛び立つクルー連絡船——その最後の一便。ジオライトとオレアナからそれぞれ選ばれたクルー達を乗せて、その小さな船はあと30分で出発することになっていた。あの船が到着するのを待って、メタモアークもまた遥か彼方の惑星メテオスへ出発する。
多くの人たちが、クルーと、そしてメタモアークとの別れを惜しんで、この草原へと詰めかけていた。
「いいのだ、ここからで」
ほんの少しだけ考えるように遠くを見やってから、彼女は、くしゃりと微笑む。
あまりにも見覚えのあるその表情。
ナオは一瞬目を見開き、それから、まるで小さな少女を見るように、そっと目元を細めた。控え目な呟きを口に乗せる。
「辛いからですか」
「そんなこと聞くなんて相変わらずいじわるなのだな、ナオは」
「…だって、こっちから無理矢理でも穴を開けないと先生、また全部溜め込むでしょう」
「………」
苦笑しながらため息をひとつ付き、彼女もまたその小さな船に目線を向ける。
ナオの方を見ることが出来なかったのかもしれなかった。細い肩が、微かに震えていた。
「…お見通しね、お互い」
「そりゃもう長い付き合いですからねえ。パスカル君が生まれる前からの」
「時間が経つのは本当に早いのだなぁ。ナオがいつの間にかそんないじわるになっちゃうんだから」
「何言ってるんですか、私はずっと前からこんな性格ですよ」
「流石にそれは知らなかったのだ」
「…ねえ、ナオ?」
「はい」
「もし用がなかったら、ここで一緒に」
「先生さえ良いのなら、私はいくらでも」
「ありがたいわ」
それから30分間、二人は一言も言葉を交わさなかった。ただ静かに、草原に佇んで、小さなシャトルが白煙の尾を引いて青の中へ消えてゆくのを眺めていた。
それはまるで巣立ちのようだった。雛鳥が暖かい巣から、あまりに過酷な外の世界へ飛び出していく。親鳥たちは、雛鳥が強く飛んでゆくことを願うことしか叶わない。
「——いってらっしゃい、パスカル」
もう二度目となるその光景を目に焼きつけながら、彼女がそっと呟く。それは、シャトル発射の轟音に紛れて誰にも届くことはなかったけれど。
暖かな祈りの言葉だった。
(貴方そっくりに育った、私達の自慢の息子。
あの子なら大丈夫。
いってらっしゃい、パスカル)
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