メタモアークから降り立って、見た世界は、一面の、一面の花畑。
視界の全てが花で埋まる。それ以外には、何も見えない。
此処は何処? 此処は楽園?
一瞬、自分が何の為に此処にいるのか、分からなくなる。
…そうだ。調査、しなくちゃ。サンプルを採取して、メタモアークで、分析して。
私たちの旅に、何か役に立つ植物があるように。
私たちが母星に帰った時に、何か役に立つ植物が、あるように。
時間はあまり無いのだ。
メガドームと、次の星域…確かスターリアだったかな、
その星へ行くまでの間の、小休止に過ぎないのだから。
……でも。
あまり、摘みたくないな……。
「こんにちは」
突然、私の耳元につけている自動翻訳装置が、言葉を拾った。
顔を上げて、振り返ると、桃色を纏った美しいひとと、目が合った。
私は自分の目を疑う。
そのひとの背中から、翼のように広がる、大きな花びら。
枝葉のような腕と、流れる碧の髪には小さな桃色の花が咲き誇っていて、
シフォンドレスにも見紛うような、そのひとの胸から下を覆う、茎の表皮を薄く裂いて伸ばしたような緑。
風が吹く度、何色もの花びらが宙を舞う中に佇む彼女は、
あまりにも、ひとに見えなかった。
きっと、彼女は、ひとというよりは、もっと草木に近いものだ。
……落ち着け私。宇宙は広いのだ。
オレアナ星の常識で宇宙全てを捉えてはいけない。
電気信号の命だって、大気浄化作用のある血を持つ飛ぶ命だっているのだから、
人のような花がいたって、そしてそれが言葉を喋ったって、別に何もおかしくはないじゃない…?
呆然としながら、必死で思考を巡らせていると、彼女が、可笑しそうに小さく笑った。
背中に咲いた大きな花びらが、ゆらゆらと揺れる。
私は唾を飲み込んで、一歩前に出た。
「……あなたは何という花ですか?」
おずおずと、尋ねる。
彼女は、ふわっとお辞儀をして、言った。
「フロリアス」
「フロリアス……。あの、フロリアスさん。どうしてあなたは、言葉を喋れるんですか?
…あっ、いや、その、私、怪しいものではなくって、ええっとその、」
おろおろしていると、ふわりと暖かい風が吹いた。
甘い香りの優しい風。
……天国、か、楽園のような。
幸せな気持ちになるのに、心のどこかが恐怖に似たものを覚える。
ここは、綺麗すぎて。
自分たちは、ここにいるべき存在ではないと、理性の部分が告げている。
言いよどむ私を、不思議に思ったのだろう。
フロリアスが、ゆっくりと首を傾げた。
「……貴方は、宇宙人さん、ですよね?」
「え、ええ、ああ、まあそんな感じです。
…あれ。……この星には、
…そっか、メガドームの人たちが時々来るって言ってたっけ……」
「あの、」
香りが揺れる。
思考の海からはっと我に返ると、いつのまにか、私の顔のすぐ傍に、フロリアスの顔が。
「ミリアム、というメガドームの人が、あなたの船に乗っていませんか?」
「え? ……ミリアム?」
……道案内としてメガドームから乗り込んできたのは、たった一人だ。
「マリー、って名前の子なら乗ってますけど……。
知り合いですか? 呼んできます?」
「…いえ、いいんです。ありがとうございます」
少し、寂しそうに笑って、彼女は腕を抱いた。
それからすぐに、明るい表情になって、私の後ろを——
私の後ろに停泊している、メタモアークとの連絡船を、細い手で指差す。
「あなたたちも、空から船に乗ってきたんでしょう?
……あの、良かったら、空の話を、聞かせてもらえませんか?」
「空…宇宙の話ですか?
……少しなら話せますけど、ただ…」
困ったな。
きらきらと瞳(だと思う)を輝かせている彼女には悪いけど、
本当は、私は今頃調査をしていなきゃいけないところで、
……あっ、
「じゃあ、私も、フロリアスさんの話を聞かせてほしいんですけど、いいですか!?」
「私の話ですか? そんな、話せることなんて…」
「なんでもいいんです! この星の天候、季節、生き物たちのこと、
フロリアスさんの今までの思い出、なんでも聞きたいんです!」
一気に意気込んで、私は彼女の手を握った。
私の、薄い手袋の生地を超えて、柔らかな感触が伝わってくる。
彼女は驚いたように目をぱちぱちさせて、それから笑った。
「そんな話でいいんですか? それならいくらでも話せますよ」
「是非! 良ければ今日一日ででも! …あっ、しまった、レコーダー船の中だ……!
そ、その、少し待っててもらっていいですか、すぐ取ってきますんで、」
「……えっと、私、一緒に行きましょうか?
れこーだー、ってよく分からないですけど、取りにいくくらいなら一緒に歩いて」
「歩けるんですか!?」
今度こそぶったまげて、私は目を剥いた。
人のような姿の花が言葉を話す、って時点でも思考キャパシティぎりぎりだったというのに、花が、歩く!?
なんだか、それではもう、私たちとちっとも、
「宇宙人さんの船、あそこに見えてるじゃないですか。
ゆっくりしか歩けないですけど、あれくらいへっちゃらですよ」
「うわあ、うわあ、ありがとうございます!
仲間達もすっごい喜ぶと思います! みんな、知識欲に取り付かれた人ばっかりですから!
…あっ、あとえっと、私、パアニっていうんです。
宇宙人さんじゃなくて、ぜひそう呼んでください」
「パアニさん。わかりました。…じゃあ、私のことも、ダフネと呼んでください」
とても嬉しそうにはにかんで、彼女は、ダフネは、笑った。
そして、連絡船の傍で、私と、たまたま船の近くにいた生物化学班の仲間たちは、
半狂乱になりながら、彼女の不思議な話に耳を傾けた。
メモを取り、彼女の話を参考にして何種類もの植物を採取し、写真を撮り。
そして、私たちと同じくらい熱心に、彼女は宇宙の話をせがんだ。
もちろん、お返しにちゃんと話したけれど、時間が無いこともあって、私たちはどうしても聞く側になりがちだった。
ひととおり話を聞き終えた頃、ちょうど運良くマリーがやってきたので、
ダフネに紹介してあげると、お互いに何故かとても懐かしそうに話し始めた。
切れ切れに聞こえた会話的に、どうやら、マリーはミリアムというメガドームと知り合いだったらしい。
——と。突然ダフネが私を見た。
調査結果をメモしつつ二人を見ていた私は、それはもうばっちり視線が合ってしまい、
一人で慌てていると——彼女は駆け寄ってきた。
走っている。あの細く真っ白な、絹の根のような足で。
私の手を握り、ダフネは言った。
「私も、連れて行ってくれませんか」
「花の咲いていない、空へ」