「Master, Master! Please wake up, or else you'll late for the university...」

 遠くから響いてくる機械音声に、意識を引き挙げられて、俺はのろのろと瞼を上げた。
 同時に直感。
 ああ、やっちまった、と。
 身体を動かそうと努力しても、ぎしぎし軋む鉛のように重い。生身の体と機械との繋ぎ目が、痛い。しかも熱いうえに寒い。気持ち悪いし、頭の奥が、プレス機が喚いてるかのごとくガンガンいっている。
 ……最悪だ。

「駄目だ、今日、俺、休む」
 かろうじて呟くと、枕元に立っていたそいつが、キュルル、と微かな音を立てて首を傾げた。
「What is the matter with you?」
「風邪…? 熱っぽい……睡眠不足だ、多分」
 どちらかといえば、それは願望だった。
 どうか、ただの風邪であってほしい。1日2日寝ていればなんとかなるような。

「…ていうか、お前、スキャンどうしたんだよ。わざわざ俺が言わなくてもわかんだろ?」 
「………」
「…また故障か」
 帰ってきた沈黙に、ただでさえぼろぼろの神経を微かに逆なでされて、俺は眉を寄せた。ああ、もう、なんでこいつはYesかNoかはっきり言わないんだ。機械のくせに。
 俺の苛つきに促されたのか、そいつがようやっと声を出した。
「Yes...」
「しょうがねえなあ……治ったら直してやるから……。家事頼むな。あと、氷と冷却水も」
 ため息交じりにそれだけ、言って、瞼を閉じる。
 遠くなる世界で、そいつがやたら元気に返事をしていた。

「Yes, Master!」














――.....Schlafe, schlafe, holder, süßer Knabe,
 leise wiegt dich, deiner Mutter Hand;
 sanfte Ruhe, milde Labe
 bringt dir schwebend dieses Wiegenband.
 
 Schlafe, schlafe, in dem süßen Grabe,
 noch beschützt dich deiner Mutter Arm,
 alle Wünsche, alle Habe
 faßt sie liebend, alle liebewarm.
 
 Schlafe, schlafe in der Flaumen Schoße,
 noch umtönt dich lauter Liebeston,
 eine Lilie, eine Rose,
 nach dem Schlafe wird sie dir zum Lohn....



 その歌を、どこで聞いたんだったろう。
 探す視界の先に、遠く、記憶の中で掠れていた後姿が見えた。
 暗い部屋に差し込んでくる夕日が眩しくて、よく見えない、のに、それでも知っていると直感する。
 忘れかけていた声が、指先を伸ばして、俺の髪を梳いているのを、俺を抱きあげて歌っているのを、視界が捉える。
 ぐらりと視界が歪む。どうしてこんなに此処は熱いんだ、痛いんだ、違う、あの場所は、
 理不尽に視点が反転しては元に戻り、
 いつのまにか俺は、その人を、腕に抱かれて見上げて

「………う…」

(かあさん)

「…母さ……」


 ふいに、何かがぎこちなく頬に触れた気がした。
 ハッとして目を開くと、真っ赤なガラスの瞳を閉じたそいつが、俺の枕元にいた。
 キュルルル、と細かく編まれた機械達の、微かな軌道音が聞こえる。
 心音に、どこか似ていた。

「………」

 気がつかなかったふりをして、もう一度、瞼を閉じた。
 そいつのひんやりした金属のボディが、熱で火照った頬にはちょうどよかったから。


 その冷たい機械が、顔のすぐそばにあったっていうのに、
 俺は、あの夢を見ていなかった。見ていた夢の記憶は朧げでも、それだけは確かだった。恐怖に締めつけられて、冷や汗にぐっしょり濡れて、悲鳴を上げて飛び起きてないんだから、それだけでも、それは確かだ。

 俺が眠てるときは絶対に傍に寄るなと、あんなに命令してあったのに。
 もう、こいつも、壊れかけているんだろうか。
 でも、もう。
 俺は、あの夢を見なかった。

 それよりもむしろ、今見た夢は―――




 熱のせいだと言い訳をして、頭痛や悪寒や現実から逃げるように、俺はもう一度眠りに落ちた。
 今度もやっぱり、悪い夢は見なかった。


 風邪が治ったあと、数年ぶりに、機械が唸りをあげる工場に足を踏み入れてみた。
 もう俺を、パニック症状が襲うことはなかった。