「———愛してる!!」



自らの全ての思いをかけて

喉から迸った悲鳴が


運命を大きく———









貴方の瞳が凍り付いているのが、ここからでも良く見えた。
ごめんなさい。ごめんなさい。
でも、私は——貴方に出会ってしまったから。
ごめんなさい。
今の私には、貴方の願いを叶えられない……。

左胸に押し当てている、金属の硬い感触が僅かに震えているのが自分でも分かる。
お願い……私を、置いていかないで。
怖くて、怖くてたまらないの。自分が死んでしまうことよりも、ずっと怖くてたまらない。

ええそうよ、私はやっと気づいたの。


この気持ちは恋なんてものじゃない。
そんな小さなものじゃない。
だから、貴方が例え“彼ら”だったのだとしても、
貴方が貴方なら、何の問題にもならないの。

「好き」ではなく——


だから………。







タータの瞳を見つめたまま、私の脳裏にあの日からの事が駆け抜ける。

……私たちが出会ったのは——運命だったのかもしれない。
だって、今の私には。
貴方と出会っていなかった私なんて想像も出来ないのだから。


荒野に一人佇んでいた私に
冷たく、そして暖かな水をくれたのは—— ……








————————————————————————————————————————————





……明日生きていられるのかどうか

それすらも分からなかった世界


悲鳴も 泣き声も 真紅の血も

いつからか見慣れてしまって


ただ

生き残る為だけに



死なない為に

生きていた




その世界は


貴方と初めて出会った時から <君と初めて出会った時から>


全く別のものへと姿を変えた





—— 歯車の廻る時 ——


その日は、確かいつもどおりの一日だった。
いつもどおり、朝から発砲音がうるさく響いていて、
いつもどおり、二〜三人の男がいきなり襲い掛かってきて…とは言え、いつもどおり沈めておいたけれど…。

耳に届いた声に、私は顔を曇らせる。
…いつもどおり、裏の路地から時折誰かの悲鳴が聞こえて。


本当に、酷い町だった。私の生まれ育った町は。


何故あんな状況になっていたのかはよく分からない。
とにかく、私が物心ついた時には、既に「いつもどおり」の風景は生まれていた。
それでもあの町がギリギリで滅ばなかったのは、皆が皆、生き残るために必死だったから。
それはもう毎日毎日あちらこちらで銃撃戦は起きていたけれど…。
誰もがみんな自分の身は守れたから、怪我をしても死ぬことは少なかったように思う。
…子供やお年寄りは別として。
そういう弱い者を狙う奴の方が弱いと私は思っていたけど、…そこはそういう場所だった。
最悪な治安、それを見て育つ子供たち、巡り巡る永遠に抜けられない悪循環。
いつしかそれが日常に変わる。
言い換えれば、

弱い者は、生き残れない町。強い者だけが、生き残ってきた町。

私の故郷…、ウィルダーは、そんな所だった。
情の無い町…だった訳では無いけれど、人々が思いやりに溢れていたとか、そういうのはほとんど無くて。
家族や親友や、そういう深い付き合いはあった。でも…「広く浅く」な付き合いなんて誰も信用しない。
誰が敵か分からない。
信じられるのは、家族と何年も何年も前から友人だった人たちだけ。
…中には、大人になるにつれて、その人たちも信じられなくなってしまう人もいたけれど。
そんな、寂しい町。


そして。


幼かった頃、銃を初めて持つようになった頃。
町で起きた突然の暴動に巻き込まれて…そう。その日は、全然いつもどおりなんかじゃ無かったわね…。
何が原因であんな暴動が起きたかは今も知らない。知りたくもない。
…きっとどうせ、町の不良集団の勢力のぶつかり合いが、エスカレートでもしたんだわ。
簡単な推測。
最初は集団の若者同士。次に弱みとして家族が狙われ合い。
応戦、そして巻き込まれる彼らと縁のあった人々全てが。
巻き起こった、町全てが戦場になった下らない暴動。

とにかく、私はその時に。


家族も幼なじみも、愛も友情も。

全部、失った。


「殺される前に殺す」


私の家族を襲った奴らの声と言葉はまだ覚えている。
奴らが敵対していた不良集団の一人…の両親、と私の両親は友人だった。それだけの理由で。
みんなパニックになって、冷静に考えることが出来なくなって。
やがて…血のように赤い夕日が沈んで、そして暴動とその一日と、私の今までの日常は、終わったの。

それからは、ただ死なない為に。
生き残るために、必死で。

私は、十八年という歳月を、ほとんど一人で生きてきたわ。


寂しさで狂ってしまいそうな夜も乗り越えて、私はここにいるの。
そして今日も、きっと——生きていられれば、これからも、ずっと。

いつもどおりに———


「……い、テメェ!さっさとそこをどけ!!」


その時。
夕暮れの中、家へ向かって歩いていた私の耳に、聞き覚えのある嫌な声が聞こえてきた。
…あの嫌な感じの低い声、さっき私が沈めた男の声じゃなかったかしら?
そう思って、ふっと視線を走らせる。
もちろん、右手をホルスターに添えるのを忘れてはいない。
この町では、ちょっとした油断が命取りになるのだから。

視界に映ったのは…日の差さない暗い路地と、そこにいる…三人の人影。
一人は小さいから、暗くてよく見えないけれど…おそらく子供。角も小さいから、きっと女の子ね。
もう一人の人影は、まるでその子を守るように立っている。


「…こんな小さな女の子に、銃を向ける理由だけでも教えてもらえませんか?」

「テメェには関係無いだろ?このガキが気にくわない。だから消す。
 それ以外に何か理由でもあるか、ああ?」


……うわぁ。明らかにあの男、さっき私にやられた八つ当たりをしようとしてるわね。……あれで私より年上?
…あの女の子、よく見えないけどなんだか私に面影が似てるから、余計気に触ったんだわ。
それにしても…あの敬語のアナサジの方は誰かしら。
どう見てもあの子の家族ではないようだし……。顔立ちが違いすぎるわ。
この辺りでは見知らぬ顔だから…旅人、なのかしら。
小さなギターと袋とを背負っているから、…多分、そうなのだろうと思うけれど。
…だったらかなり危ないわね。この町は、旅人の間でも“最も危険な町”と噂されている程なのに…。


「——— ……」


返す言葉が見つからなかったのか、その旅人のアナサジは困ったようにため息をついた。
…その刹那、



…ジャキッ



…どうやらそれが、どうしてかは分からないけれど、あの男の神経を逆なでしたらしく。
いきなりあの男がホルスターから銃を抜いて、旅人に向けて構える。
旅人の方は、いきなり銃口を向けられて、明らかに顔色を変えていた。


「…予定変更だ。別にテメェでも鎌わない。
 そのガキの代わりに俺に殺されるが良いさ」


その男が、とても楽しそうに、残酷に笑ってみせる。
……はぁ。よくもまあ、相手が抵抗しないからって。

本当なら、こういう場合は手を出さないのが一番なのだけど。
あの旅人の、明らかにこの町の人とは違う眼差しと、小さい頃の私を思わせるあの女の子が放っておけなくて。
気がついたら私の手は拳銃を抜いていた。
素性を知らない相手なら危険だけど、幸いあの男の腕はさっき一悶着あったおかげで知っているわ。

男が引き金を引くよりも早く、私の手が銃のハンマーを上げて引き金を引く。
狙いは———



……パンっ!!



「うわぁっ!?」


男の悲鳴が響き、彼の握っていた拳銃が二つに別れて、くるくると宙を舞って地に落ちる。
がしゃん、という鈍い音と、かしゃんという高い音が続けざまに生まれた。
ちょうど、接合部分を狙って打ったのだけど…どうやら、上手く当たってくれたようね。
旅人と女の子が、あぜんとしてその様子を見ている。
…驚かせてしまったかしら?後で、一応謝っておかないと——


「誰だっ!?」


右手を押さえて、男が振り返る。私と目が合った。
その顔が、さーっと青ざめていく。
私は、銃を降ろさないまま、彼らへと近づいた。視線を左右へ走らせるのも忘れない。


「……その子は私の知り合いよ。
 それ以上手を出したら、今度は掠れ弾では済まさないわ」


嘘八百を言ってみる。お願いだから表情を変えたりしないでね、と女の子に祈りながら。
でも、心配はいらなかった。その女の子も、今日までこの町で生き延びてきたのだから。
目を潤ませて、お姉ちゃん、と震えた声で答える。…わ、可愛い。これならあの男、絶対騙されてるわね。
ちら、と視線を向けると、案の定、その男は後ずさりを始める所だった。

この町で生き延びるために、絶対忘れてはいけない事。
それは、自分より強い者に不用意に挑んだりしない事。
それを忘れた者は、すぐに命を落としてしまうから。


「…っ、ちっ……!」


舌打ちをして、男が路地から走り去っていく。
もう大丈夫ね。
念には念をいれて、引き金から指を外さないまま、私は振り返った。
安堵したせいか、その女の子は嘘泣きを越えて本当に泣き出してしまいそうだ。
ぽん、と安心させるためにその頭に手を乗せる。
……小さな子にとって、銃口は相当恐ろしい物だと言うのに。


「もう大丈夫。ああいうガラの悪いのには、気をつけるのよ。
 次またああいう馬鹿に襲われたら、“私はテラ=ディグニフィードの友達よ”って言いなさい。
 大抵の大人なら、多分それで逃げてくれるから」

「あ…りが、とう……。……あの…なんで、たすけてくれた、の…?」


震えた声を必死に抑えて、その子が顔を上げる。
確かに、ね…。小さな子にとって、“この町では”、他の大人は信じてはいけない人なのだから。
私自身、なんで助けたのかと聞かれてもよく分からない。…けど。


「…昔の私に似ていたから」


くしゃ、とその細い髪をなでてみる。
…あんまり長くこの場所にはいない方が良い。いつあの男が戻ってくるかも分からないし。
そう結論付けて、私はその女の子の背を押した。
彼女にもその意味は通じたらしい。立ち上がって、一度ぺこりと頭を下げて、そのまま走り去っていく。

それを見送って、私は路地を振り返った。
さっきの旅人は、まだそこにいた。驚いたような、気が抜けたような、そんな複雑な表情をして。
…やっぱり、当然よね。
この町がこんな所だとは知らなかったみたいだし、いきなり銃口を向けられたら誰でもそうなるわ。

人の気配が無いのを確認して、私は銃をホルスターにしまう。
その旅人へと数歩近づいて、


「……貴方、旅人でしょう?
 この町がどんな所か知らないなら、出来るだけ早くここから出た方が良いわ。
 ここは、強い者だけが生き残る世界なの。
 あの場ですぐに銃を抜くことが出来なければ、この世界では生き残れない」


少しだけ私より背が高いその旅人を見上げる。
その旅人は、少し驚いたような表情をしたけれど、やっぱり最後には困ったような表情に変わった。
どうしたのかと、私は首を傾げる。何か理由でもあるのかしら?


「…ええと……この町には旅の間の生活具の補給をしようと思って立ち寄ったのですが…。
 すいません、次の町まではどれくらい掛かるか教えて頂けますか?」

「……あ」


その旅人の質問に、私は口元に手を当てた。
この町は、この荒れた荒野にぽつんと立っている町だもの。周囲の町まではかなり距離がある。


「……かなり掛かるわ」


答えを返すと、案の定旅人はまたさっきの困ったような笑みをこぼした。
途方にくれた、と言ったほうが近いかもしれない。


「……出来るだけ努力して早く出ようとは思いますが…。
 驚きました。ここまで凄い町とは知らなかったので」

「ああ…良く町の入口からここまで無事だったわね?でも…」


一度言葉を切って、私は思案する。
今の季節は…冬の終わり。だから…、


「貴方、今の時期にここから次の町に進むのは無謀かもしれないわよ?
 …貴方、南の街から来たのでしょう?」


ため息をついて確認をとると、どうして分かったのかと意外そうな顔をされたけれど、予想通り彼は頷いた。


「悪いことは言わないから、その街に一度戻って別の方向へ行った方が良いわ。
 確かにここからはかなり遠いだろうけど、北へ行くよりはずっとましだから」

「何故…「…気候が悪すぎるのよ」


旅人の問いかけを遮って、私はもう一つため息をつく。


「ここから北の荒野は、一年を通して荒れに荒れてるの。
 嵐がまだましになるのは初夏の頃の、ほんの数週間だけ。それでもまだ安全とは言えないわ。
 荒野を越えた先には別の町があるらしいけど…、私は行った事が無いし北からの旅人もめったにこの町には来ない。
 情報が凄まじく古いから、荒野を越えられたとしてもその先に町があるかもはっきりとは分からないし」


そんな荒野を旅できるほどの準備を整えるには、この町では相当お金が必要になってしまう。
私たちは水さえあれば何十日も何も摂取せずにいても平気だけど、あの嵐に挑むとなれば話は別。

唯一開かれているのは南の街への道だけど……そこへ辿り着くだけでもかなり大変な旅になる。
そもそも、町のない荒野はつまり人が住めない場所で、この星自体、旅なんてものには向いていないのだ。
大抵のアナサジは自分の生まれ育った町を出ずに一生を終える。
行商人や、本当にまれに訪れる旅人だけが世界への情報源。
それは私達も同じことで、この町から出て行く人はほんの僅か。
荒野よりはまだこの町の方が、“私たち”には安全だから。改めて思うと、本当に酷い悪循環ね…。

私の答えに、その旅人は小さく呻いて困り果てたように頭を抱えた。
なんだか…今まで私が見てきた人の中で、誰一人として似たタイプがいないような人だわ。
…この町で育ってきたからかも知れないけれど。
荒野を旅してきたのなら、もう少し警戒心とか反射神経とかがあっても良さそうなのに。
さっき…あの見知らぬ女の子を庇っていた。自分の身も気にかけずに。
この町には、あんな行動をとる人はまずいないと言うのに…。


「……れません」

「………え?」


つらつらと考え事をしていたから、彼の言葉を聞き逃してしまった。
きょとんとした顔で見返すと、彼は自分の言った言葉をもう一度繰り返してくれた。


「…僕は…南の街には戻れません。
 季節を待ってから、どうにかして北の荒野を越えて次の町へ行きます」


意外な言葉に、私はきょとんとした表情のまま旅人を見つめる。
どうしてかと思ったけれど……でも…きっと訳ありなのね。
彼の本気の瞳を見て、私は喉まで出掛かった言葉を飲み込むと、別の質問を口にした。


「……どうして、さっきあの子を助けようとしていたの?」


話題転換の意図はその旅人にも伝わってくれたらしい。
彼は、額から手を離して、しばらく考え込むように目を泳がせていたけれど…。
やがて、それを諦めるように中断して。


「……笑われるかもしれませんが、理由は特に無いんです。
 気がついたら、あの女の子を庇っていました」


理由を探していて諦めたのだろう。苦笑して旅人の出した答えに、私は軽く目を瞠る。
…本当に、不思議な人だわ。
本当に同じアナサジ星人なのかしら…ううん。
私だって、さっき気がついたらあの子を助けてた。充分、この町で言えば変わり者だわ。

………、…もう少し、この人と話してみたい。


「…………」


気がついたら。
私の口は、その旅人の名前を聞いていて、少し話せないかと聞いていて。
彼は驚いていたけれど——、頷いて、名乗ってくれた。


彼の名前は、タータ、というらしい。







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「……宿も決めずに夕方まで出歩いていたなんて…。」
 この町、夜に一人で出歩くのは自殺行為にも等しいわよ?」


あの後、タータに「この辺りに泊まれる場所はありますか?」と問いかけられて、私は絶句してしまった。
……泊まる所も決まらないまま夕方まで歩き回っていたのか、
それとも町についたのが夕方だったのかは知らないけど…。
…この人、本当に旅人なのかしら?
本当に…不思議な人…いや、変な人かも…。

一つ息をついて、私はテーブルの上に二つの水が入ったコップを置いた。
幸い、この町は地下に水が流れていて水には苦労しないけれど、
お茶の葉や珈琲の豆を買えるほど私はお金持ちでは無い。
…賞金稼ぎにでもなればそれは楽なんでしょうけど、そんな野蛮なことは私は嫌いだし。

礼を言って、タータがそのコップを受け取る。
………。結局、放っておけなくて私は彼を(半ば強引に)家へと連れて来てしまっていた。
見ず知らず、しかも素性も知らない相手に対して何をしているのかと自分でも呆れてしまうのだけれど。


「…あの、良いんですか?こんなに良くしてもらってしまって…」


水を一口だけ飲んで、タータが困ったように首を傾げた。
…この人、不思議なだけじゃなくて、なんだかいつも困ったような顔をしてるような…って、そうじゃなくて。
私はテーブルの向かいに座って、自分自身に対して苦笑する。


「良いのよ、気にしないで。私、この町では変わり者だから、そういう人って割り切ってくれればいいわ。
 ……それに、私のほうこそ水だけでごめんなさいって謝らないといけないと思うんだけど」


いえ、とタータが首を振った。
そうして、しばらくの沈黙が降りる。
……不思議。私、ほんとうにたまにだけど、人と話した時には…沈黙が大の苦手だったはずなのに、
この人とだと全然怖くない。…どうしてかしら。

そんな事をつらつらと考えながら、前に座っているタータばかり見ていたら、視線に気づかれてしまった。
ふっと顔を上げたタータと目が合う。…しまった、首を傾げられたわ…;


「……どうかしましたか?」

「え、えっと……。……、少しね、さっきの事を思い出していたの」


…とっさの言い訳ほど後で困る。
言ってしまったからには、話を繋げないといけないわよね…。


「…………。
 …どうして、この町はあんな人ばかりなのかしら、と思って」


自分もその町の住人な訳だけど。
しばらく口を閉ざした後、私の口は思い出したように長年の思いを呟いていた。
町の人には言えないけれど、ずっとそう思っていたから。
意識しない内に、この町の人では無いこの人なら——嘲笑せずに聞いてくれるかもしれないと私は思っていたのかも知れない。


「—— テラさんのような人も、います」

「私は、この町の変わり者だから。
 ずっと一人だったから、町の人とは考え方が違うのかもしれないわ」

「——— ……」


目の前の人が嘲笑しない代わりに自分で自嘲してどうするの、私は……。
ため息を隠すように苦笑して、コップの中の水を一口。
コップの中の水に、部屋の中に一つだけのランプが映って、綺麗だなぁとぼんやり思い——


「……。…寂しく、なかったのですか…?」


遠慮気味なタータの呟きが、突然耳に突き刺さった。
目を見開いてコップの水を見つめたまま、動けなくなる。……こんな事を言う人が、こんな星にいたなんて。


「………そうね。寂しかった……、…寂しかったわ」



—— ……テラ、良いか。
    ここで生きていくためには、ここから“逃げられない”からには、これだけは忘れてはいけない。
    決して死ぬな。
    どうしたら生き延びられるか、それだけを考えて生きるんだ——



耳に刷り込まれた、父の言葉。
物心がついたころからずっとずっと何度も聞かされていたから、それはいつの間にか私の身に染み付いてしまっていたらしい。
ただ、ただ、死なない為だけに一人きりで必死に生きていたから。
この荒野の町に、たった一人で。
友人も家族も無く、気がついたときには手遅れで。


「……貴方は、何故旅をしているの?」


視線を動かさないまま、問いかけてみる。
てっきり、私はすぐに答えが返ってくるものと思っていたから、突然降りた沈黙に顔を上げた。
見ると、タータはまるでたった今までの私のように俯いてしまっている。
…しまった。聞いてはいけないことだったのかしら……。


「あ…、ごめんなさい。私、余計な事を……」

「…いえ、……僕は特に目的を持って旅をしているでは無いんです。
 僕も子供のころに家族を失ったので、…強いて言えば、居場所が無いので点々と旅をしているだけなんですよ」


苦笑して、タータが顔を上げた。でも、その声色に滲んでいる感情は隠しきれていない。
…相手の出方を伺うことを求められるガンマンは、感情を読むのにも長けてしまう。今回は、その特技が少し疎ましかった。
やっぱり、聞いてはいけなかったみたいね……。
でも、その声に寂しさや自嘲が滲んでいるのは…。…痛くて見ていられないわ。


「……ねえ、普通に話して?敬語って何か距離を置いてるみたいで嫌だわ。
 久しぶりなの。人とこんなに話したことって」


だから、私にはこれくらいしか言えない。

その後、私たちはしばらく他愛のない話をして過ごした。
タータも、最初のうちは言葉に敬語が混じってばかりいたけれど、最後には少し笑ってくれるようになって。
……人と話すのって、こんなに楽しいことだったかしら?

今までに感じたことの無いほど、あっという間に夜は更けて。
遠慮するタータを無理矢理私の部屋に押し込んで、私は別の部屋……まあ、私の家は部屋が二室しか無いんだけど…。
残りのもう一つの部屋で、壁に寄りかかって座っていた。荒野の夜は冷えるから、薄手とはいえ毛布も忘れていない。
別に、横になった体制で眠らないことには慣れているし、一晩くらいなら苦にはならないもの。
小さな窓から見える荒野の星を見ながら、私は眠りに落ちていった。
…明日は、日が昇っているうちに、タータにちゃんと宿を探してもらわないとね…。







—————————————————————————————————————







……反則だ。


「……タータ?…私…昨夜あんなに、気を遣わないでくれて良いわって言ったわよね…?」


私はいつもどおりの時間に起きたのだけど、タータの方がよっぽど朝は早いらしい。
…ううん、そんな事ははっきり言ってどうでも良いわ…。
……どうして私は、朝になって起きてみたら自分のベッドの上にいるの?
……しかもテーブルの上に旅人用の携帯食料や干し肉がベースとは言え、明らかにいつもより豪華な朝食が乗ってるの…?


「あ、おはよう、テラ。…ごめん、やっぱりおせっかいだった?」

「っちが…そうじゃないわよ、驚きを通り越して驚愕してるの!
 ……もう…いつ私のこと連れて行ったの?床で平気だったのに…」

「…遠慮しないでとは言われたけど、やっぱり気が咎めて…。
 どちらにしろあまり寝付けなかったから、夜中に。僕もベッドよりは床で眠る方が性にあってるから」


……。…お人好しにも程があるんじゃないかしら。……それを言ったら私もかなりの物なのだろうけれど。
自分自身への呆れも含めて、私は一つため息をついた。
それにしても…夜中…に、多分私はタータに部屋に連れてってもらったんだろうけど…。
…私、全然気づきもせずに爆睡していたの?
……情けないというか、気が緩み過ぎだわ。普段だったら物音でも目が覚めるのに…。
額に手を当てて、深いため息をもう一つ。全く…しっかりしなきゃ。ここではちょっとした油断が命取りになるんだから。


「…テラ?」


声に、額から手を離して顔を上げると、タータが私を見たまま首を傾げていた。
…あ、そうか、私ずっと片手は額片手はドアノブで立ち尽くして固まってたんだわ。
慌てて身体を動かして、開けっ放しだったドアを閉めて部屋の中へと向かう。


「…ごめんなさい、ちょっと自分に呆れてたのよ…。
 せっかく作ってくれたんだし、冷めないうちに食べましょう。…言っておくけれど、半分は貴方のよ。宿代にしても充分過ぎるもの」


昨晩の会話で、ちょっととは言え、何となく彼の思考パターンは読めていたから、
彼が退いてしまう前に先手を打つと、案の定タータはちょっとバツの悪そうな顔をしていた。
…きっと自分は簡単な食事だけで済ませるつもりだったのね。
お人よしもほどほどにしないと駄目よ、と内心で呟いて、私は席に座って、笑った。


「人の好意は受け取るものなの。遠慮しすぎたら失礼よ?
 その内、しかえ…じゃない、お返ししてあげるわ」





そして。その日を境に、タータは町の外れの—この町でもかなり安いほうの—宿屋に泊まって過ごし始めた。
炊事選択は泊り客が各自でやらないといけなかった事と、私の家とその宿が割りと近い事もあって、
私とタータは、私の家で時々一緒に食事を取るようになった。

タータは、初夏の頃になったら荒野を越えるつもりだ、と私に告げた。
それまでは、簡単な仕事についてこの町に居続けることも。

私とタータが出会ったこの時は、冬の終わり。
時はあっという間に流れる。やがて、本格的な春が訪れて。


気付いたのはいつの事だったかは、覚えていない。
本当は、初めから気付いていたのかもしれない。
…気付いていたけれど、私はそれに気付かない振りをした。

少しずつ狭まっていく、食事を一緒に取る日の間隔。
少しずつ近づいていく互いの距離。
気付いたら、瞼の裏に浮かんでいる彼の少し寂しそうな笑顔。


ああ、好きなんだ、と。


気付いていたけれど、気付かない振りをした。
彼はいつか旅立っていく。それに、こんな町よりは別の町で暮らした方がずっと良い。
…そして私は、ここに残って暮らしていくんだ、と。初めから、自分に言い聞かせていたのかもしれない。
彼の寂しそうな笑顔には、どこか人を寄せ付けない悲しみがあって。
私はきっと彼と一緒にはなれない、と、初めから自分に言い聞かせていた。

……のに。

時の流れに比例して、膨らんでいく自分の気持ちを私は持て余していた。
必死で何とか押さえ込んで、いつもどおりに他愛の無い話をしては笑って。
……だけど、とうとう。



「…この町に来て、テラに会えて、良かった…」



春の真ん中の、いつもの質素な夕食の席で。
タータが、ふっと笑顔を浮べて言った言葉が、私の思いを押さえつけていた枷をあっという間にふっ飛ばしてしまった。
いつも一人だった、私。脅えられこそすれ、誰にも必要とされず、ただ、死なない為に生きていた私に。

会えて良かった、だなんて。

時間が止まったかと思った。目を見開いて凍りついた私を、タータが慌てて覗き込んできて——


「…………——」


何でもない、と言おうとした唇が、勝手に。
好き、の二文字を紡いでいた。







それは、私たちの運命の歯車が。

回り始めた、瞬間だった。







next…