指と指とで摘んだ一枚の葉を、くるりくるりと回して、弄ぶ。彫刻のような鼻に冷たい葉脈を押し当て、深く息を吸い込み、彼女はうっそりと微笑んだ。
「……芳しきものよ。素晴らしい」
 ベルベットのクッションを敷き詰めた玉座に深く腰掛けながら、影の女王は、つっと視線を下へ向けた。階(きざはし)の下、赤ワインで染め上げたような絨毯の上には、深く頭を下げたマジョリンと、ビビアンが、跪いている。
「これを、何処で?」
 問うと、ビビアンがびくりと肩を震わせ、顔を上げた。影の一族として、もともと紫に近い顔色から、さらに血の気が失われている。膝に置かれた指先が小刻みに震えているのを見とめ、女王はくつくつと笑った。慌てたように、マジョリンが口を開く。
「女王様。弟などに口を聞かせてはお耳に障るでしょう、私が」
「よい。口を慎め、マジョリン。わらわはビビアンから話を聞きたい」
 低い声で言い放たれた言葉に、マジョリンがぐっと押し黙った。影の女王は、さらに青ざめたビビアンに視線を向け、美しく微笑んだ。無言で首を傾げてみせる。
 ——これ以上口を開かせるつもりか。さっさと話せ。
 そんな声無き言葉を瞳に読み取り、ビビアンはごくりと唾を飲み込んだ。がたがたと震える身体を必死に押さえ、声を絞り出す。
「…あ、わ、わたしが、この街の…外れの方で、影渡りをしていましたら、そ、それが、影の上に落ちてきたんです」
「ほう? 落ちてきたとは面白い。この街にはもはや、葉をつけた草木など一本も無いはずじゃがな……?」
「っ、わたしも、そう、思いました、…ので、影から出て辺りを見回してみました。わたしがいたのは、ちょうど東の港跡の近くで…周りには瓦礫しか無くって……ただ、誰かが走っていく足音の反響が聞こえました。すぐに、影を追いかけようとしたんですけれど、見失っ、て、しまって……申し訳ありません……」
「ふむ。つまり、足音の主たちが、この葉を落としていったと。そう言いたいのじゃな? ビビアン?」
 出来の悪い生徒を回答へ導くかのような女王の口調に、ビビアンは震えながら頷いた。女王は、しばらく思案するように葉片を見つめ、裏返したり香りを確かめたりしていたが——ふいに、肩を震わせた。
「くくっ…ふふふ、あはははは! 面白い! 久方ぶりに、面白いという感情を味わえたぞ!! 」
 玉座に深く腰掛け、微かに仰向き、細い喉を震わせて。影の女王は、面白くて仕方がないと言うように笑い続けた。ビビアンと、マジョリンは、表情を強張らせ、血の気を失い、ただ女王の笑顔を凝視するしかなかった。——失言した? 呆れのあまり笑わせてしまう程に? どうしよう、どうしよう、どうしよう——
「……ああ、ビビアン、そんなに青ざめなくても良いのじゃ。そちの話を笑っている訳ではない。そちがわらわに嘘を付けるはずがないからの」
 やっと思い出したように、女王が笑いを納めた。身体の震えのあまり、歯が音を立てていたビビアンは、安堵のあまり呆然と女王を見上げて——恐怖に、凍りついた。
 女王の真っ赤な瞳は、怒りと、興奮で、異常な光を灯して燃え上がっていた。暗闇の世界に紛れ込んだ、か弱い、たった一枚だけの緑の葉片。それを摘んだ指先の間接は白く、鋭い爪先が葉脈に突き刺さっている。
「……完全に閉じ込めた。地の底に落とし、空に蓋をして、日光の全てを遮断したのじゃ。枯れずに残る草木などあろうはずもない。……本来ならば、地上全てをそうしてやるつもりだったというに。あの、儀式を阻んでくれた何者かが、手を引いているのかの?」
 女王が、立ち上がる。指先で弾くように、葉片を宙に放り出すと、瞳を煌かせた。バシンッ、と弾き潰すような雷鳴が轟く。身を竦ませたビビアンは一瞬、思わず目を瞑り——開いた時には、あの葉片は、燃え滓の残滓も残さず、消え去っていた。
「これは、間違いなく、わらわの闇が届かぬ場所で、生き残っていた草木の葉。それが、なぜ我が暗闇の街に。入り口もなければ出口もない。民がどれだけ足掻こうと無駄に終わるその様を見るのが、一番楽しかったというのに、……面白い…! 我が暗闇に風穴を開けたとは…!!」
 両手を広げると、女王は鋭く一喝した。
「マジョリン!」
「…っ、はっ!」
「わらわの手足全ての召集を。四半刻後までに、中庭だ。よいな」
 深く頭を下げ、マジョリンが自らの影の中に沈む。一人、女王の前に取り残されたビビアンは、うろたえたまま女王を見上げた。女王はもう、ビビアンなど視界に映してもいない。流れる桃色の髪を一束摘み、鋭い爪で切り裂く。ふっ、と息を吹きかけると、それが一枚の真っ黒な紙へと変わった。自らの手の甲に、爪を突き刺し、赤いインクを浸す。そして、流れるように、黒い紙へ赤い文字を刻み付けていく。
「……じょ、…女王様。わたし…その…申し訳ありません…お役にたてなくて……」
 掠れた声で、ビビアンは言葉を搾り出し——女王は一瞬だけビビアンに視線を向けると、短く言った。
「もうよい。行け」
「は、……い、失礼しました……」
 恥ずかしさや、情けなさで、顔が赤くなるのを感じながら、俯く。涙が落ちる前に、ビビアンは自らの影の中に消えた。
 女王が、書き終った文書に息を吹きかけ、何百枚もの紙に増やしている音が、微かに聞こえた。まるで、烏の羽ばたきのような音だった。





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 テーブルの上に置かれた、黒い紙。それを、遠巻きに見つめながら、クリスケ達は押し黙っていた。
 数分前にこの紙が届くまでは。持ち帰った地上の薬草や小枝をノコのベッドに広げて、みんなで泣いて、キノエが家の兄弟全員を集めて、地上へ出られる道が見つかったと告げて——みんなで大喜びして——その度に誰かが声を潜めろと慌てて言って。腕を捲くり、わたしたちやアリウスのみんなが、女王にバレずに地上に逃げられるかは、まず私たちに掛かってるのよ、みんな全員で気合入れて作戦会議するわよ!と——キノエが小声で高らかに宣言した直後、戸口から乱暴な大声と、この紙が飛び込んできたのだった。

「……聞かれては、なかったわよね」
 ぽつり、とキノエが呟いた言葉に、誰も答えられなかった。ノコが苦しそうに呻いただけだ。部屋の隅にしゃがみこんで頭を抱えているノコの背を、グリムが無言のままさすっている。
 クリスケは、テーブルに手をついて、崩れ落ちそうな足をなんとか支えていた。もう、何度も読んだ女王からの文面を、もう一度読み通す。

 ……我が街から、一歩でも外へ逃れる者へ。それを試みようとする者へ……

「どうし、て……」
 掠れた声で呟くと、視界が歪んだ。やっと、やっと、道が見つかったと思ったのに。その矢先に、何故、見透かしたかのように。…やっぱり、駄目なのか。逃げることなんて、誰にも、出来ないのか……
「……女王は、世界全部を覗ける水晶だまを持ってんだって、隣の兄ちゃんが言ってたよ」
「馬鹿、そんな訳ねえだろ。クリスケ兄たちが抜け道見つけたって分かってたら、紙なんて寄越さないで、先に直接捕まえに来らあ。だからさ、あんな紙、偶然だって……」
「こんなタイミングの良すぎる偶然なんてある訳ないよ。…隣の家にも配ってるっぽかったけどさ、じゃあ、きっと、誰かがアリウスから外に出たら分かるような魔法、掛けてあるんだよ、じゃなきゃ、おかしいじゃん……」
 ひそひそと会話を交わしてたチビたちを、誰かがしぃっと言って黙らせる。とたん、互いの呼吸音だけが聞こえそうなほどに、部屋はしんと静まり返った。
 誰も、何も言わない。言えない。ほとんど身動きも出来ずに、テーブルの上の紙を、見つめることしか出来ない。少しでも目を離したら、黒い紙からぶわりと影が広がって、こちらへ襲い掛かってくるんじゃないかとでも言うように。
「——ごめんください! すいません、誰かいませんか!」
 だから、声が飛んできたのは、突然だった。静寂をいきなり破られて、部屋にいた全員がびくりと肩を竦ませ、声の聞こえてきた方——戸口を見やった。
 息を潜める。
 さっきまで、この部屋は恐ろしく静まり返っていたのだ。外の通りで足音がしたら絶対聞こえるはず。……なのに、何も聞こえなかった。何故。……まさか、影の女王に近しい者が?
「誰か! くそっ…グリム君! クリスケ君! いたら返事してくれ、お願いだ! 僕だよ、ルーシャン・ロワンだ!」
「…え」
 名前を呼ばれたとたん、呪縛が解けた。クリスケとグリムは互いに顔を見合わせ、駆け出した。後から、何人かが追いかけてくる。
 グリムが、扉代わりの布を跳ね除けると、コンッ、と鋭い音がした。銀の光が散り、誰もいなかった石畳の上に、ルーシャンが姿を現す。汗だくになって、杖に縋り、肩で息をしながら二人を見て——深く安堵したように、長い息を吐いた。
「良かった……あの紙を見て、君達が捕まっちゃったのかと思ったよ……良かった、無事で、本当に……」
「…ルーシャンさん、どうして……なんでここに…」
 掠れた声で、クリスケはやっとそれだけを呟いた。グリムも、扉布を払った姿勢のまま、息を呑んでルーシャンを凝視している。
 ルーシャンは答えなかった。いつものように、ふにゃりと、柔らかく笑っただけだ。その身体が傾ぐ。慌てて二人が肩を貸すと、小さな声が聞こえた。
「いやぁ、ごめんねー…魔法使いながら全力疾走はちょっと無茶だったみたい……」
「全力疾走って……時計台からここまで!? なんで、そんな、」
 クリスケの視線を受け止めて、ルーシャンが苦笑交じりに溜息をついた。静かに、視線を移す。それにつられて、クリスケも自分の背後を振り返った。
 扉布の隙間から、こちらを不安げに伺っている瞳に向かって、ルーシャンが微かに会釈する。——数回の、呼吸を数えて。細く、布が開けられ、キノエが顔を見せた。真っ青な顔で、それでも気丈に微笑んでいる。
「……お久しぶりです、ルーシャンさん。この前は、屋根の修理をありがとうございました」
「あー、いえいえこちらこそ。それにあれくらい朝飯前ですし」
「なにか、御用ですか?」
 張り詰めた声で切り返され、ルーシャンがフッと押し黙った。
 グリムが慌てたように口を開く。
「キノエさん、ルーシャンさんは——」
「いいよ、グリム君。…すみません、突然お邪魔して。驚かせる気はなかったんですけど」
 小さく呟き、ルーシャンは、険しい表情を浮かべたままのキノエをじっと見つめた。
 彼女の後ろにも何人かの人影がいて、こちらをじっと伺っているらしいのが見て取れた。……青ざめた表情。怯えた目。そりゃ、そうだ。最高の吉報の直後に、それをぶち砕いて余りある最悪の知らせが届いて、全員が全員動揺しているところにいきなり人が尋ねてきても、歓迎なんて出来ないだろう。
 ——それでも言わなければ。
「キノエさん。グリム君とクリスケ君を、少しお借りしてもいいですか」
 クリスケとグリムは、弾かれたように息を呑んだ。真っ直ぐに前を見詰めるルーシャンの視線の先で、キノエが微かに後ずさり、眉を寄せる。
「…何故ですか。それに、何処へ。こんな時に……」
「時計台へ。時計台なら、僕ら神官が、二人のことを守れます。神官長にも、直接、事情を話してもらうことが出来ます。……僕らのところにも、あの紙が来たんです。すぐに分かりました。グリム君とクリスケ君が、王家の抜け道を見つけてしまったんだと」
 それだけ言って、ルーシャンは口を閉ざした。
 キノエの表情から、ゆっくりと力が抜けていく。たった一言、「そうですか」と呟いて、視線を落とした。
 二人の会話を呆然と聞いていたクリスケは、のろのろと、ルーシャンを見上げた。
「……ルーシャンさん、抜け道のこと、知ってたんですか」
 自分でも驚く程に、ひび割れた、変な声だった。
 ルーシャンが、苦しそうに顔を歪めて、答えた。
「神官の間に、伝説として伝わってただけだよ。……伝説だと思ってたんだ。僕も、神官長も、アリウス中を探しに探したけれど、見つからなかった。あの石桟橋だって、ドゥールさんが占い道具振りかざしながら散々沈めとけなんて喚いた場所だから、何回も探してみたんだ。でも、何も見つけられなかった」
 一度言葉を切り、目を瞬く。悔やむような色が、ルーシャンの瞳に宿った。
「……だから、抜け道の存在なんて知らないはずの君たちが、あんなに必死に石桟橋を探してて、本当に驚いたんだよ。一月も前に沈めた、今じゃ誰も用がない橋なのに。……まさか、とは思ったんだ。何か知っているのかもしれない、って。…でも、僕は……。抜け道が本当に実在するなんて思っていなくて…見つかることがあるなんて思わなくて、真剣に取り合わなかった……」
 苦い溜息を吐いて、ルーシャンは口を噤んだ。
 クリスケは、ルーシャンの言葉を反芻しながら、微かに俯いた。驚きや戸惑いよりも、なにかもっと平坦な、苦い感情が、胸を塞ぐ。
 ……知っていたんだ。そっか。そうなんだ。もし、もっと早く、相談していたなら、力になってくれたかもしれない。手分けして探したり、道を塞ぐ瓦礫をどかしてもらったり、何より、女王にバレたりしないような方法を、教えてもらえたりも、出来たのかなあ。
 でも、もう、遅い。
 つい、さっき。本当に、ついさっきだ。それなのに、ものすごく遠い昔の出来事のような気がする。桟橋を戻してくれと頼み込んだのも、時計台へ行ったのも、ルーシャンが、笑いながら、事情は聞かないよと繰り返していた全てが、ひどく、遠い。届くはずだった地上が、突然に遥か遠くへ取り上げられてしまったのと同じように。
「……やっぱり」
 グリムが、小さな声で呟いた。
「やけにわざとらしいなぁとは、思いましたよ」
「…どういたしまして」
 ルーシャンが苦笑して、ふと、痛みを堪えるような表情を浮かべた。無意識に、ぼんやりと彼の視線を追ったクリスケは、息を呑んだ。
 青ざめた唇が、震えている。壁に縋るようにしながら、キノエが微かに口を動かしていた。うわごとのように、小さな囁きが紡がれていく。
「……今度こそ、外に出られるって。今度こそ、本当に外に出られる道が見つかったと……見つけてくれたと、思っていたのに……」
 そのまま、ずるずると座り込んでしまったキノエを、後ろから慌てて伸びてきた腕が——ノコが支えた。キノエと同じくらい青い顔をして、それでも、気遣うように何かを囁いている。
 地面を見つめ、無言で肩を震わせていたキノエは、ふいに、勢いよく顔を上げた。微かに目を瞠って身を引いたルーシャンを睨み、声の限りで叫んだ。
「悔しいじゃないですか…!! 見つけた瞬間に、閉ざされるなんて、酷すぎるじゃないですか! 外に出ても出なくても、命はないなんて、そんなの、…せっかく見つけてきてくれたのにっ……!! 貴方も…知っていたなら、どうしてこの子達くらい必死で探せなかったんです、見つけられなかったんですか!? それに、下手に地上へ通じる道を見つけたら、こうなると予測できていたみたいな口ぶりじゃないですか…! なら、どうして最初から二人を止めてくれなかったんですか!!」
 搾り出すような声で訴えるキノエを、ルーシャンは、じっと見つめていた。唇を噛んで、無言のまま、見つめるしか出来なかった。
 ——それが、やつあたりだということを、キノエだって自分で一番良く分かっている。しゃくりあげ、頭を抱えながらも、自分を叱るように首を振った。なんとか、「ごめんなさい、」とだけ囁いて、両手で顔を覆う。
「ごめんなさい……ごめんなさい。私、どうかしてますね……。………二人をお願いします。地上に出た以上、ここにいたら危ないことくらい、分かってるんです…」
「…キノエさん、」
「お願い、クリスケ、グリムも、何も言わないでちょうだい。もっと慎重になるべきだったのに、私、あなたたちが道を見つけられそうだって聞いて…すっかり浮かれて……。私たちじゃ、女王の手から、貴方達を守れない。…しばらく、落ち着くまで、時計台にいた方が、安全だわ」
 幾つもの言葉を飲み込んで、クリスケはキノエを見つめた。彼女が、誰かに理不尽な怒りを叩きつけたのは、クリスケの記憶にある限り初めてだった。
 だから、分かる。女王の黒い紙が、彼女をどれだけ打ちのめしたかが、痛いほどに分かってしまう。
 じわじわと、実感が胸を焼いた。ああ、そういえば、地上に出られないだけじゃなくて、一回地上に出ちゃった以上は、女王に捕まっちゃうんだよね。オイラも、
 とん、と背中を叩かれて、クリスケは顔を上げた。ルーシャンが、努力して浮かべたような笑顔で、仄かに笑いながら、言った。
「時計台までは、僕が君たちの姿を隠すから、安心して。……多分、女王は、誰かが地上に出たことは勘付いてても、まだ、誰が出たのかまでは突き止められてないはずだ。現に君たちがこうして無事だったんだし。今のうちに、安全なところに隠れれば、捕まりやしないよ」
 ルーシャンが背筋を伸ばし、杖を持ち直した。一度、キノエに挨拶をするように会釈してから、一呼吸し、口を開き——
「…待てよ」
 紡がれかけた呪文を、硬い声が遮った。
「俺も連れてけ。俺も、地上に出てる」
「…へっ?」
 流石に想定外だったのか、ルーシャンが変な声をあげて、固まった。
 キノエの肩を支えながら、睨みつけるような目で、ノコは言葉を続けた。
「三日前に。こいつらと一緒に、桟橋じゃない別の抜け道経由で、出たんだ。……その時は、あんなくそ忌々しい紙、来なかったけどな」
「……本当かい」
 眉を寄せて、ルーシャンがノコとクリスケ達を交互に見た。クリスケとグリムは我に返ったように、ノコは唇を引き結んで、それぞれ頷く。ルーシャンが額に手を当てて唸った。
「…分かった。一緒に行こう。みんな、僕の周りに集まって」
 キノエの肩を一度だけそっと叩いて、ノコが立ち上がった。そして、ルーシャンの前に立ったとき、ぼそりと口を動かしたのを、クリスケはばっちり見てしまった。
「キノエは俺らの家族なんだよ。次、泣かしたら、殴る」
「………僕じゃなくて女王に言ってくれると嬉しいかなぁ」
 ルーシャンが、微妙に笑顔を硬直させながら呟いた。誤魔化すように咳払いをすると、真面目な表情を浮かべ、クリスケ達を見回す。
「…とにかく。ここから時計台までの道にも、多分、女王の手下がうろついてる。で、残念なことに、僕の魔法が隠せるのは姿か声のどちらかが精一杯なんだ。……という訳で、みんな、絶対に喋らないでね」
 涼やかに言ってのけると、ルーシャンは返事を待たずに銀の杖を打ち鳴らした。澄んだ音と共に、足元から光る風が舞い昇る。まるで、見えない風の垂れ幕で包み隠すかのように。
 クリスケは、石畳に落ちていた自分の影が消えていくのを見た。…元々暗闇とは言え、少し離れたところには魔法灯も灯っている。現に、風の幕の向こう、立ち上がったキノエの足元には、仄かな影がちゃんと落ちているのだ。
 目を瞠って辺りを見回すクリスケ達の肩をちょんちょんとつついて、ルーシャンが口元に人差し指をあてた。静かに頼むよ、お願いだから。いいかい? ——目力だけでそう言い含めてから、時計台の方向を指差し、手招きする。
 さあ、行こう。離れないで。あそこまで行けば、もう大丈夫だから。







 クリスケ達の家から時計台までは、早足で歩いても大体15分かかる。直線距離ではそれほど離れていないのだが、瓦礫や城を迂回しようとすると、かなりの大回りになってしまうのだ。
 お互いの、サンダルが石畳を擦る控えめな足音ですら、何かに聞かれてしまうような気がして——自然と、慎重にしか足を運べなくなる。時折現れる細い路地の横を通る度、背中に冷や汗が滲んだ。溶かしたような闇の中から、何かの目が、こちらを見ていたらどうしよう……?
 振り返り、足を止めてしまっていたクリスケの背を、グリムが小突いた。
(気をつけて)
(…ごめん)
 瞳だけで会話を交わし、静かに溜息をつく。
 足音を殺して歩きながら、クリスケは視線を上へ向けた。暗闇の中に、ぼんやりと、時計台のシルエットが立っている。…もともとは、見上げれば首が痛くなるほど立派な塔だったのに、半分の半分くらいの高さまで崩れてしまった。それでも、他の建物より頭一つは大きい。時計台の向こうに聳える、黒い城には及びもしないけれど……
(………)
 視線を下げる。無言で歩き続けるというのは、結構、辛い。他愛ない話題で気を紛らわせることも出来ない。考え事に沈むしかない。女王とか、抜け道とか、地上とか、落ち込むだけの方向から意識的に気を逸らそうとしても、ささいなきっかけで思考はすぐにそちらへ落ちていってしまう。
 唇を噛んで、クリスケは思考の全てを閉め出した。今、まともに向き合ったら、…歩けなくなる。今は、何も考えちゃ駄目だ——

 ふいに、ルーシャンが足を止めた。訝しげに、揃えて足を止めたクリスケ達を見回してから、時計台を指差す。示された先を視線で追って、クリスケは微かに目を見開いた。
 時計台の先端に、フッと青い光が灯る。元々は屋根があった場所だ。今は屋根板と壁が全て壊れて、骨組みしか残っていない。だから、魔法灯の下に、神官帽子をかぶった人影が一人立っているのも——骨組みを頼りに金色の鐘が吊るされているのも、よく見えた。
 神官が、微かに光を放つ銀の杖を持ち上げ、肩の高さで水平に構えた。一歩足を引いて、重心を後ろに倒す。そして、思いっきり、杖を前に突き出した。
 朗々と、鐘が鳴った。長く長く、尾を引いて、音が伸びていく。その音に紛れるようにして、ルーシャンが口を開いた。
「時計台に着いても、まだ喋るのは我慢してね。僕が魔法を解くのは、神官長の前に出てからだ」
 ゴォーン、ゴォーン、と、繰り返し鐘が鳴り響く。三つ、四つ、五つ、
「そしたら、僕をなじってくれて構わない。キノエさんが言ってたとおり、もし僕が君たちの話をちゃんと聞いて、抜け道の存在を信じて、協力出来ていたら、君たちはここにいなくて済んだかもしれないんだ。…さっきはちゃんと謝れなかったから」
 六つ、七つ、
「ごめんよ」
 八つ。
 鐘が鳴り止み、余韻だけが路地に反響して響いていく。眉を寄せ、口を開きかけていたグリムが、ものすごく渋い顔をしてルーシャンと鐘とを交互に見やっている。声を出さずに唇だけ動かして、何か言うのが見えた。
(ずるいです)(そういうのは)
 …多分そんな類の言葉だ。ルーシャンが苦笑いして、時計台を指差した。着いたら聞くよ、と、多分そう言いたいんだろう。
 ちらり、とノコの方にも視線を向けて、クリスケは心の中だけで呟いた。…うわあ。まずい。怒ってる。かなり。
 眉間に深ーく皺を寄せてルーシャンを睨んでいたノコが、視線に気づいたのか、振り返ってクリスケを見た。とたんに、眉間の皺が消えて、複雑な表情になる。怒っているような悲しんでいるような、両方を合わせたような顔で、ノコは自分の頬を突付いた。クリスケがぽかんとしているので、もう一度突付く。
 首を傾げつつ、つられて自分の頬に触れてみたクリスケは、目を瞬いた。情けない表情になって、溜息を付く。全然気づかなかった。
 歩き出したルーシャンの背中を追いかけながら、クリスケは濡れた指先を無造作に払った。


 ルーシャンは、時計台の正面玄関を素通りして、さらに歩き続けた。訝しげなクリスケ達をちょいちょいと手招きして、時計台の裏へ回り込んでいく。
 やがて、正面の扉に比べれば随分と小さな木の扉が、石組の間に嵌め込まれている場所に出た。裏口みたいなものなのかな、と考えながらクリスケは辺りを見回し、首を傾げた。——扉に、取っ手が付いていない。
(ちょっとだけ下がっててね)
 手だけでそう言うと、ルーシャンは杖で扉を叩いた。2、1、3、1、と、何音かに一度休符を入れながら、全部で7回。最後の1音を叩くと同時に、すぅっ、と扉が内側に開いた。
 躊躇うことなく中へ入っていくルーシャンを、慌てて追いかける。
 クリスケ達全員が、中に入ったのを確かめると、ルーシャンは音も立てずに扉を閉めた。さっきと同じ節で扉を叩くと、小さく、かちりと音がした。つまり、簡単な魔法錠の一種だ。
「……やれやれ」
 声に出して呟き、ルーシャンは長く溜息を吐いて扉に寄りかかった。青白い魔法灯のせいもあるだろうが、顔色が真っ青だ。
「とりあえずは一安心かなぁ。神官長に会えるまでは、まだ完全には気が抜けないけど」
 ちょっとだけ休ませてね、と断りを入れて、そのままずるずると座り込んでしまったルーシャンに、クリスケ達は顔を見合わせた。
 …そういえば、魔法はものすごく精神力を削るものだと聞いたことがある。それに加えて、緊張や、慣れない全力疾走も合わされば、相当な負担だろう。……以前追いかけたときも、ルーシャンさん足遅かったもんなあ。
「…だ」
 大丈夫ですか、と言いかけて、クリスケは自分の口を押さえた。慌てているクリスケを見上げて、ルーシャンがへにゃりと笑う。
「女王の手下に聞かれる心配は無いから、もうそこまで過剰にならないで大丈夫だよー。ただ、君たちの事、僕以外の神官は全然知らないからね。もし声を聞かれたら、なんでこんなところに人が三人も、しかも姿消す魔法掛けて、とか、色々尋問されるんだよ。いちいち事情説明してたら大変でしょ? 僕が一人でブツブツ言ってる分には、ああちょっと独り言です、で済むけどさぁ」
 ルーシャンが、げんなり、といった感じで溜息をつく。それに被せるように溜息をついて、グリムが口を開いた。小さな声で囁く。
「…僕らのことを出来るだけ知らないでいた方がいいから、って分かりやすく言えば良いじゃないですか」
 グリム以外の全員が、虚を付かれたように瞬きをする。グリムはさらに続けた。
「『あんまり僕ら神官に秘密の話をしない方がいいよ? いつ、女王の手下と戦って、捕まって、女王に恥ずかしい秘密が筒抜けになっちゃうか分かんないからねー。という訳で恋愛相談には乗れないよー』とかなんとか、屋根修理に来た時にチビ達と喋ってたの、よく聞こえましたよ」
 ルーシャンが、魚の骨を喉に詰まらせた時のような顔をした。グリムとルーシャンを交互にまじまじと見つめて、クリスケは呟いた。
「……もしかして」
 面倒くさいと繰り返して、自分達の事情を全く聞こうとしなかったのは、
「それでもね、もし本当に抜け道が見つかるかもと思ったら、意地でも事情なんて聞きだしてたよ」
 ぼそり、とクリスケの言葉を遮って、ルーシャンが立ち上がった。杖をコンコンと鳴らし、クリスケ達を囲むような円を描く。さっきと同じ光の幕が、今度は頭の上からふわりと降ってきた。
「さて、じゃあ僕は神官長に一度軽い事情説明をしてくるから。君たちはここで待ってて。多分、こんな裏口には誰も来ないと思うけど、念の為、声は出さないこと。動かないこと。もし誰もいない暗闇から声がしたら、平均的な神官なら間違いなく」
 ここでたっぷり間を置いて、ルーシャンは断言した。
「女王の手下だと思って攻撃してくる」
 クリスケ達がさーっと青ざめるのを見届けてから、ルーシャンは手を振って、狭い石造りの階段を登っていった。


 冷たい石の床の上に、膝を抱えて腰を降ろす。
 全員が全員、疲労で目の下に隈ができて、顔色だって真っ青だ。ノコなんて、真っ青どころか白い顔色になっている。まだ微熱があるんだろうに。
 クリスケの視線を受け止めたノコは、ちょっとバツが悪そうな顔をしてから、ルーシャンが登っていった階段の先を見上げた。何か口にしようとして、開きかけた口を慌てて閉じる。
(……)
 グリムが、そんなノコを覗き込むようにして、苦笑した。ルーシャンに啖呵を切ったことを反省してるのかな、してたらいいんだけどなぁ、みたいな、そんな言葉が瞳に浮かんでいる。ノコが、ちょっとむっとした表情を浮かべて、小さく舌を出した。別にそんなこと思ってねぇよ、悪かったな。
 ……なんだかんだ、ここまで来てしまうと、もう、なるようになれ、としか思わなくなるらしい。もしくは、許容量を超えたせいで感覚が麻痺してるだけかもしれないけれど、それでも別に構わない。無言で火花を散らしているノコとグリムに苦笑してから、クリスケは自分の膝にこつんと額を乗せた。目を閉じる。…流石にちょっと、くたびれた。少しくらい眠っても……

 コンコン、コン、

 びくっと身を竦ませて、全員の目が扉に釘付けになった。
 コンコンコン、と扉を叩く音が続く。2、1、3、……ちょっと待てちょっと待て、これはものすごくまずいんじゃないか…!?
 クリスケ達が青い顔をますます青くして、立ち上がり、無言で後ずさり、せめてもの抵抗のように壁際に張り付くのと、最後のノックが扉を叩いたのは、ほぼ同時だった。静かに、扉が開く。
『平均的な神官だったら間違いなく、女王の手下だと思って攻撃してくる』
 ルーシャンの言葉を脳裏に響かせながら、クリスケはぎゅっと目を閉じた。絶対に、声と音を立てないように…!

 こつり、と小さな足音が扉を抜けて入ってくる。扉が閉まり、鍵を掛けるノックがそれに続いた。振り返る気配。クリスケ達は全員が全員息を止めていた。……ほんの少しの間が空いてから、こつり、と足音が鳴る。一歩、こちらに近づく。微かな衣擦れが聞こえた。——けれどすぐに思い直したように、足音はこつりこつりと遠のいていった。階段を登っていく。そして、上のほうで扉が開いた音がして、ばたん、と閉まった。
 たっぷり10秒はそのまま硬直してから、クリスケ達は思い切り息をはいて床にへたりこんだ。




「お待た……大丈夫?」
 戻ってきたルーシャンは、クリスケ達が壁際に固まってぷるぷるしているのを見て、首を傾げた。
「……またさっきの人かと思って」
 グリムが、全員の心情を代弁して呟くと、ルーシャンは一瞬眉を潜めてから、ぽんと手を叩いた。
「あ、なるほど、そっか、それでか…。ごめんよ、あと少しだけ頑張って」
 よろよろと立ち上がったクリスケ達を手招いて、ルーシャンは階段を登っていく。こつこつと、互いの足音が壁に反響する。…大丈夫なのか、これは。
 不安げな表情のクリスケに気づいたのか、ルーシャンが笑った。
「階段を上がったらすぐだから」
 そう言いながら、ひとつめの扉を素通りする。踊り場を回り、さらに階段は上へ続いていた。
 急な段を上り、またひとつ踊り場を通る。
 さすがに息が切れてきた頃、ルーシャンが足を止めた。
「着いたよ」
 小さな、人ひとりくらいの幅しかない木の扉が、目の前にあった。申し訳程度の魔法灯が、扉の上部に青く灯されている。
 ルーシャンは一度振り返り、クリスケ達を見回した。開けてもいいかな、と問いかけるように首を傾げる。全員が頷くのを確かめて、扉に向き直る。
 杖で、コンコンとノックすると、魔法灯が揺らめいた。
「パルナッタ神官長。ルーシャンです。連れてきました」
「どうぞ」
 張りのある、涼やかな声が答えた。
 コンッ、とルーシャンの杖が石の床を打つ。クリスケ達を覆っていた光の幕が、解けて消えた。
 扉が開く。とたん、眩しい橙色の光が差してきて、クリスケは目を細めた。
「あ」
 隣で、ノコが小さく息を呑み、声を上げた。
「さっきの!」
「…え」
 目を瞬く。光に慣れた目に、室内の様子が飛び込んできた。
 天井を囲うように灯された、橙色の灯。一瞬、蝋燭かと思ったが、違う。橙色のものなんて初めて見たが、紛れも無く魔法灯だ。人が5人も入ればいっぱいになってしまいそうな狭い部屋のあちこちに、本の塔が積みあがっては崩れている。真ん中に置かれた小さな机もほとんど本と書類の物置と化していた。
 机に腰掛け、本の頁を捲っていた人影が、振り返る。
「さっきの? …ああ、なんだ。唯一目を見開いてたノコノコ君じゃないか」
 微かに笑いを浮かべて、人影が机から飛び降りた。背中を覆う大きな白い羽がばさばさと羽ばたき、書類が宙に舞う。ルーシャンが変な声で呻いた。
「また片づけが……」
「自分でやるよ。…ルーシャン、それはそうと、さっき彼らにかけてた姿隠しの魔法。ちょっとは上達したけど、まだまだ甘いな。ばっちり見えてたよ」
「神官長が騙せたら、僕は女王の目の前からだってこの子達を消してみせますよ…」
 溜息交じりの返答にくすくすと笑うと、彼女は軽やかにルーシャンに歩み寄り、その背後を覗き込んだ。ぽかんと突っ立っていたクリスケ達3人を上から下まで眺め、小さく唸る。
「この子たちが、ねえ…。まあいいや。初めましてお三方。私がパルナッタ・シェイラリングだ。簡単な事情だけは聞いてるよ」
 軽く会釈したパルナッタの動きに合わせて、金色の髪が揺れた。左右の耳を覆うように、一房ずつ長い髪が垂れている。対照的に、後頭部の髪は首に掛かるか掛からないか。身長はルーシャンよりも僅かに高い。胸に皮の鎧を纏い、背中に翼を持つ彼女は、一目でパタパタだと分かる出で立ちをしていた。
 我に返ったところで、クリスケは慌ててぺこりと頭を下げた。
「クリスケ・スカイブルーです」
「ノコ・スカイブルー。こっちは」
「グリムといいます。籍は同じスカイブルーです」
「兄弟か。うん、仲が良さそうでいいことだ。どうだった? 地上は」
 いきなり直球だ。地上の様子は何も知らないルーシャンも、じっとクリスケに視線を注いでいる。ぐっと言葉に詰まったクリスケは、唾を飲み込んでから、おずおずと口を開いた。
「……晴れてました。みんな、ちゃんと、残ってました。アリウスから離れた場所は。…アリウスのあった場所は、荒野に変わってました」
「そうか」
 小さく息を吐き、パルナッタが遠くを見るような眼差しをした。微笑みを浮かべる。
「良かった。最高の知らせだ」
「…でも、」
 クリスケは唇を噛んで、俯いた。その先に続く言葉が、喉に詰まる。——でも、もう出られない。自分達は、もう、
「ありがとう」
 穏やかな声に打たれて、顔を上げる。
 パルナッタは、笑っていた。目を輝かせて、笑っている。ぽかんとしているクリスケの頭に手を乗せて、いきなりぐしゃぐしゃと掻きまわしたかと思うと、軽やかに頭突きをお見舞いする。流石にノコもグリムも呆気に取られて口をあけた。
 呆然と目を瞬くしかできないクリスケの額に額をつけて、パルナッタは言った。
「おまえ、良くやったなぁ! というかおまえら全員だ。本当に良くやってくれた!」
 クリスケを解放するや否や、ノコとグリムにも続けて攻撃を仕掛ける。唖然、といった感じで固まっているノコの髪をわしゃわしゃと掻き回しながら、パルナッタは今にも踊りだしそうだった。
「ずっと、地上に出られたとしてそこに何もなかったらどうしようかと思ってたんだ。私だけじゃない、みんなそうだ。そうかそうか、まだ生きてる人はちゃんといるのか! いやぁ、良かった、これでしばらくは挫けずに済む!」
「……で、でも、もう、地上には出られないんです!」
 堪らなくなって、クリスケは吐き出すように口走った。
「出られない?」
 変な顔になったパルナッタが、しばらく思案して、やっと合点がいったのか指を鳴らした。
「ああ、あの女王の紙か。気にするなあんなの。なんとかしてバレずにすむ脱出法見つければいいんだから。脱出先が無人の荒野でしたーじゃやってられないが、人がいると分かれば気合も入る」
「…見つかるんですか」
 思わず口を挟んだルーシャンに、パルナッタはふんと鼻を鳴らした。
「見つけるんだよ、馬鹿。さて、じゃあ、さっそくで悪いが事の経緯をすっかり教えてもらおうか。確かこっちに椅子が」
 がさがさと本の間を発掘し始めたパルナッタは、いきなり後ろから響いた派手な音に肩を竦めた。なんだなんだと振り返り、眉を潜める。
「…どうしたんだい、少年君は」
 倒れ掛かったクリスケの身体を、ノコとグリムが慌てて両脇から支えていた。近くにあった本の塔がいくつか崩壊して、床に雪崩れ落ちている。派手な音はこれだろう。目を丸くして三人を見ていたルーシャンが、振り返って言った。
「気絶しちゃったみたいで」
「ありゃりゃ。神経が繊細だねぇ」



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